交通安全の意識を広めたい-。自動車教習所で教官を務めるロッテのドラフト6位、宮崎梅田学園・信楽晃史投手(23)が今日22日、教官として最後の教習を行う。13年前に13歳で亡くなった野球少年への思いを胸に、交通事故撲滅を願い、プロのマウンドに向かう。

 教官としての仕事は、今日が最後。信楽は「会社の配慮で、早めに終了させてもらえる。これからは1月の新人合同自主トレに向けて、トレーニングに専念します」と感謝した。即戦力と期待される右腕には、目標がある。「生徒の皆さんから『あの人に交通安全の大切さを教えてもらった』と思い出してもらえる存在になりたい」と明かした。交通事故をなくしたい。宮崎梅田学園野球部の全員に共通する願いだ。

 野球少年がいた。宮崎・国富町の八代中1年生だった笹森郁也(ふみや)君。夢はプロ野球選手だった。02年12月11日。練習帰りに交通事故で命を奪われた。13歳だった。父義幸さん(52)は、交通安全を訴える講演などを行ってきた。活動を知った宮崎梅田学園の梅田條尾社長(64)が共感。06年2月に野球部を創部した際、郁也君のポジションだったサードにちなみ「5」を永久欠番とし、ベンチには、いつも「5」のユニホームを掲げ戦っている。事故の4カ月前、同学園主催の野球大会に郁也君が出場していた縁もあった。

 梅田社長は「我々の目標は、都市対抗に出て東京ドームに『交通安全』の横断幕を掲げること」と力説する。目標は達成されていないが、創部10年目でプロを輩出できた。「郁也君も天国で喜んでくれていると思う。信楽には、交通安全の取り組みを続けて欲しい」と期待した。少年の思いも受けて、信楽教官はプロとなる。【古川真弥】