【ユマ(米アリゾナ州)11日(日本時間12日)=本間翼、木下大輔】日本ハム栗山英樹監督(54)が、練習休日を利用し、ヤクルトでの現役時代のキャンプ地ユマを訪問した。当時を思い出しながらキャッチボールも行って原点回帰。あらためてチーム、選手のためにやり尽くす覚悟を決めた。ピオリアでのキャンプは今日12日(同13日)から最終クールに入るが、17日の帰国後即4人程度の入れ替えを行うことも明かした。

 目の前に広がる光景が、当時の記憶を運んできた。26年ぶりに踏みしめたユマの土。現役時代の感情が、フラッシュバックした。

 栗山監督 一番しんどかった時期。1軍に残るために必死だった。やっぱり選手のためにやり尽くさなければいけない。いろいろ考えることはあったけど、気持ちがすっきりした。来てよかった。

 選手のため、チームの勝利のために、覚悟は決まった。

 メーンスタジアムはアメリカンフットボールのフィールド用に様変わりしていた。当時宿泊していたホテルもなかった。だが、クラブハウスは当時のまま残り、練習グラウンドでは、米独立リーグ入りを目指す選手たちが汗を流していた。「まさか帰ってくるとは思わなかった。グラウンドがあってよかった」。現役時代を振り返るように、キャッチボールで体を動かした。

 紅白戦でフェンスに激突して目の下を切ったこと。ロッカー室で野村監督から直接声を掛けられたこと。スパイクが赤土に引っかかり、左ふくらはぎを肉離れしたこと。そして、メニエール病に苦しみ、ユマに来ることさえできなかった4年目のこと。すべての記憶は、今指揮を執る日本ハムの選手たちへの愛情につながる。「責任を持って、きっちりとした野球をやらないと」。

 だからこそ、非情にもなる。帰国する17日、即4人程度入れ替えることを明言。「帰ってこのまま(2軍の)国頭。合流する選手もいるから」。レギュラークラスの田中賢ら昇格してくるベテランがいる一方、ふるいにかけられる選手が出てくる。「必死になることは誰にでもできる。一生懸命になることは格好いい」。今という時は2度と来ない。20代だった栗山英樹が、未来の自分へ、そのチームで奮闘する日本ハムの若手へ、時空を超えてメッセージを送っていた。

 ◆栗山監督とユマ ヤクルトでの現役時代の84~90年まで、チームの1軍キャンプは米アリゾナ州ユマで実施していた。今回の訪問は現役最終年の90年以来、26年ぶりとなった。