昨季限りでソフトバンクを退団した松中信彦内野手(42)が現役を引退することが29日、分かった。昨年10月に退団後、NPBでの現役続行を希望し、他球団からのオファーや入団テストの機会を待っていたが、自ら期限としていた2月末まで話がなかった。プロ生活19年、平成唯一の3冠王がバットを置いた。
96年アトランタ五輪で銀
日本代表の4番として銀メダルに貢献。決勝のキューバ戦では満塁弾も
- 1996年アトランタ五輪・決勝 キューバ対日本 松中信彦の打撃フォーム
- アトランタ五輪野球決勝 日本対キューバ 5回表2死満塁、満塁本塁打を放ち、笑顔で生還する松中信彦
- アトランタ五輪野球決勝 日本対キューバ 試合終了後、パディーヤ(右)と握手する松中信彦
96年ドラフト2位入団
逆指名でダイエー入り。同期は井口、柴原ら
- ダイエーの合宿所に入寮する井口資仁(左)と松中信彦
プロ初安打
97年5月31日、西武戦でプロ初安打
- ダイエー対西武9回戦 4回裏1死一、二塁、ダイエー松中は中前にプロ初安打を放つ
プロ1号
プロ2年目の98年9月5日、西武戦でプロ1号本塁打
- ダイエー対西武22回戦 3回裏2死一塁、ダイエー松中は右越えにプロ1号本塁打を放ちガッツポーズ
結婚
00年12月、恵子夫人と結婚式
- 松中と恵子夫人は、笑顔でケーキカットをする
バット折れても驚弾
01年6月、バットをグリップのところで折りながら140メートル弾を放つ
- ソフトバンク松中は01年6月、西武戦でバットをグリップのところで折りながらも左手一本で140メートル弾を放つ
100号
02年5月3日、日本ハム戦で通算100号本塁打
- 日本ハム対ダイエー6回戦 5回表無死、ダイエー松中は中越えにプロ通算100号本塁打を放つ
150号
03年9月27日、オリックス戦で通算150号本塁打
- オリックス対ダイエー27回戦 5回表無死、ダイエー松中は中越えに通算150号本塁打を放ち、ベンチ前で王貞治監督に迎えられる(撮影・田中光文)
侍ジャパン小久保監督と自主トレ
04年1月、巨人小久保と自主トレ中にポーズ
- 浜辺でストレッチをする巨人小久保(右)とソフトバンク松中
3冠王
04年、打率3割5分8厘、44本塁打、120打点でプロ野球史上7人目の3冠王獲得
- 18年ぶり史上7人目の「三冠王」獲得に松中信彦は会見で満面の笑み(写真は04年9月)
- 3冠王を獲得したソフトバンク松中(中央)と堅い祝福の握手を交わす孫正義オーナー(左)と王監督
200号
05年4月17日、ロッテ戦で通算200号本塁打
- ソフトバンク対ロッテ6回戦 9回裏1死、ソフトバンク松中は渡辺から通算200号となる右越えソロ本塁打を放つ
工藤監督から本塁打
05年5月、交流戦で対戦した巨人工藤から本塁打
- ソフトバンク対巨人 4回裏2死一塁、ソフトバンク松中(手前)は巨人工藤から本塁打。工藤は思わず苦笑い
1000安打
05年7月30日、ロッテ戦で通算1000安打
- ソフトバンク対ロッテ12回戦 プロ通算1000安打を達成したソフトバンク松中はベンチ前でバティスタから祝福される
気迫ヘッド
05年10月、ロッテとのプレーオフ第5戦で気迫のヘッドスライディング
- プレーオフソフトバンク対ロッテ第5戦 8回裏2死一塁、薮田の暴投で二塁に頭から滑り込み、気迫のガッツポーズを見せる松中(写真は2005年10月17日)
第1回WBC制する
初代王者となった06年WBC日本代表としても活躍
- WBC1次リーグ 日本対韓国 1回裏2死三塁、松中は二塁内野適時打を放つ
250号
06年5月6日、西武戦で通算250号本塁打
- 西武対ソフトバンク7回戦 8回表無死三塁、右越えに通算250号本塁打を放ったソフトバンク松中は花束を手にファンの声援に応える。右から王監督、ズレータ
300号
08年8月29日、西武戦で通算300号本塁打
- ソフトバンク対西武20回戦 3回裏2死二塁、ソフトバンク松中はプロ通算300号本塁打を放ちベンチ前で花束を手にファンの声援に応える
1000打点
09年4月3日、オリックス戦で通算1000打点
- ソフトバンク対オリックス 3回裏2死二、三塁、ソフトバンク松中は2点適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成(撮影・進尚幸)
1500安打
09年5月6日、オリックス戦で通算1500安打
- オリックス対ソフトバンク6回戦 6回表無死二塁、プロ通算1500安打を達成したソフトバンク松中は花束を受け取って声援に応える(撮影・進尚幸)
美酒に酔う
11年11月、中日との日本シリーズを制し日本一に
- 優勝を決めビールかけを行うソフトバンク松中信彦(写真は2011年11月20日)
350号
12年5月10日、オリックス戦で通算350号本塁打
- オリックス対ソフトバンク9回戦 9回表2死一塁、通算350号本塁打を放つソフトバンク松中。投手岸田護(撮影・田崎高広)
退団会見
15年9月29日、会見しシーズン限りの退団を明かす
- シーズン限りで退団することを明かしたソフトバンク松中(撮影・栗木一考)
プロフィル
◆松中信彦(まつなか・のぶひこ)1973年(昭48)12月26日、熊本県生まれ。八代第一-新日鉄君津。96年アトランタ五輪では決勝のキューバ戦で同点満塁本塁打を放つなど銀メダル。同年ドラフト2位でダイエー入団。3年目の99年にレギュラーに定着し、04年に史上7人目の3冠王。06年WBCでは王監督の日本代表で4番を打ち世界一。MVP2度(00、04年)、ベストナイン5度(00、03~06年)ゴールデングラブ賞1度(04年)。オールスター出場9度。183センチ、97キロ。左投げ左打ち。家族は夫人と3男。