広島新井貴浩内野手(39)がプロ野球42人目の通算300本塁打を放った。2回無死一塁からヤクルト石川のシンカーをバックスクリーンに運ぶ先制の13号2ランだ。直前の守備で盟友・石原がバレンティンのバットを頭部に受けて負傷退場。「チームのために打ちたい」を信念とする男が、4月26日に通算2000安打を放った神宮でまたも記念の1本を放り込んだ。新井の2安打3打点3得点の活躍もあり、チームは今季最多の16得点を挙げて快勝した。

 ひと振りに思いを込めた。広島新井はヤクルト石川の外角シンカーに思い切り踏み込んだ。2回無死一塁。打球は高く、大きな放物線となってセンターへ伸びていった。ヤクルト比屋根は落下点に入ったかのようなフェイク。新井は悔しそうな顔をつくったが、打球は自身の想像よりもはるかに飛んでいた。バックスクリーンで高くはねた。

 「ちょっとこすったから。自分も比屋根君にだまされた(笑い)。本当によかった。うれしいです」

 時を戻し、そして進めてくれた盟友のためにも、打ちたかった。1回にヤクルト・バレンティンのバットが捕手石原の後頭部に直撃。担架で運ばれ、救急車で救急搬送された。「チームのために、いいところで打ちたい」。口癖のように言ってきた。煮えたぎる思いがあった。「すごく心配」。緊急事態でいつにもまして欲しかった先制点。そのバットでたたきだした。

 広島に復帰した15年の春季キャンプ。宮崎・日南市内で「新井さん、どのツラ下げて帰って来たんですか会」が開催された。丸らとともに主催したのが石原だった。若手に先んじて歓迎ムードを作ってくれた。8年ぶりのメンバーとも、しちりんを囲めばすぐに時は戻った。初対面の若手とも、肉をつつけばすぐに打ち解けられた。「本当にいい子ばかり」と笑っていた。

 史上42人目となる300本塁打。また神宮だった。ホームイン後は、2000安打でご祝儀をくれた「友人」つば九郎から花束を受け取った。ベンチ前では菊池からお辞儀を受け、後輩たちからは肩をもまれた。決勝打にも「支えてくれた人、そして勝ちゲームにしてくれたみんなに感謝したい」。愛される男は300本目も、チームのために打った。【池本泰尚】

 ▼通算300本塁打=新井(広島) 2日のヤクルト15回戦(神宮)の2回、石川から今季13号を放って達成。プロ野球42人目。初本塁打は99年6月6日の中日11回戦(浜松)で野口から。39歳6カ月の達成は14年和田(中日)の41歳9カ月に次いで2番目の年長記録で、出場2179試合は78年松原(大洋)の1862試合を上回り最も遅い到達となった。