中日は9日、谷繁元信監督(45)の休養を発表した。成績不振の責任を取らせたもので事実上の解任。同日ヤクルト19回戦から森繁和ヘッドコーチ(61)が監督代行を務める。後任監督は小笠原道大2軍監督(42)を軸に人選を進め、新体制作りに着手。また同時に佐伯貴弘守備コーチ(46)にも休養を要請。辻発彦2軍野手総合兼内野守備コーチ(57)と早川和夫2軍守備コーチ(56)が1軍に昇格し、1軍の渡辺博幸内野守備コーチ(46)が2軍に異動する。

 この日朝、名古屋市の自宅にいた谷繁監督をホテルに呼び、佐々木崇夫球団社長、西山和夫球団代表が「休養」を告げた。事実上の解任通告だった。

 流れが急変したのは7月下旬、ヤクルトにホームで3連敗したころ。白井オーナーが感じた危機感が発端だった。球団に批判的な声や投書が届くようになった。佐々木社長は会見で結論に至った理由を「ファン目線」とした。成績次第での途中交代を検討し始めた。今月3日、負け越しが36年ぶりの7カード連続に伸びると一気に動いた。

 同社長は「大変心苦しかったが、プロスポーツの監督として結果の全てを負うのは宿命」とした。就任当初は「4年契約」と発表されていたが、実は1年ごとの更新だった。腰を据えてのチーム再建を託された形に見えて、実際は1年勝負。社長はその点に「4年やってほしいという期待値」と言葉を濁した。

 13年オフ、谷繁監督を推薦した落合博満GMには一切報告せずに決めたというが、低迷の大きな要因に戦力不足があったことは明らか。佐々木社長は「段階的に」とし、来年1月で契約が切れる落合GMを含めて、フロント幹部が責任を取ることも示唆した。

 谷繁監督はスーツ姿で会見に臨み「どうしたら強くなるのか全身全霊考えてやってきた。こういう形で去るのは悔しい。でもこれが勝負の世界」と唇をかんだ。ヤクルト戦前のミーティングで「悔いのない野球人生を送ってほしい」とあいさつ。全員と握手して別れた。報道陣には「14年半応援してくれたファンの皆さんへの感謝を、ぜひ書いてください」と頭を下げた。

 残りシーズンは森代行のもとで戦う。後任には昨年限りで現役引退した小笠原2軍監督が筆頭候補として挙がる。

 ほかにもOBを候補に、幅広く選定を急ぐ。大きな痛みを伴った中日の大改革が始まる。【柏原誠】

 ◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)から88年ドラフト1位で大洋(後に横浜、DeNA)入団。捕手として1年目から80試合に出場し、98年横浜日本一の立役者に。01年オフに中日へFA移籍し、4度のリーグ優勝と07年日本一に貢献。14年から選手兼任監督となり、15年限りで現役引退。選手通算3021試合(史上最多)、2108安打、229本塁打、1040打点、打率2割4分。現役時代は176センチ、81キロ。右投げ右打ち。今季は監督に専念。