プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月10日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)はヤクルトにドラフト3位で入団したカツノリ捕手が父親の野村克也監督同伴で入寮した様子を伝えています。

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 ヤクルト野村克也監督(60)が究極の「親バカ」ぶりを発揮した。ドラフト3位入団した三男カツノリ捕手(22=明大)が埼玉・戸田の合宿所入りした9日、父親として同伴。健康祈願のお札、天狗(てんぐ)の面などを持ち込んだほか、母親の沙知代夫人(63)も5階の部屋に到着すると、方位磁石を取り出して家具の配置を決めるなど、まさに至れり尽くせりのユニークな入寮となった。

 冷めた親子関係の多い現代ニッポンで、ここまで公然と親バカぶりを発揮されれば、アッパレというしかない。監督同伴だけでも球界初の珍事? だが、それ以上に風変わりだったのが、知る人ぞ知る野村家のインテリアコーディネート術。こだわりはズバリ「方位」と「占い」だった。

 電化製品、段ボール箱7個を運び込むカツノリに付き添い、「503号室」に入った沙知代夫人が、まず最初に取り出したのは、ナント方位磁石だった。「北枕(まくら)」を避ける枕の位置の基本に始まり、タンスや机の位置を事細かに指定。さらに、キョトンとしているカツノリをしり目に、天狗で有名な群馬・沼田の迦葉山(かしょうざん)で購入した「健康第一」のお札を部屋のコーナーに2枚、ベッドわきには天狗の面も備え付けた。

 これだけで終わると思ったら大間違い。事前の占いで「緑のものを枕元に置くといい」とのお告げ? を受けたため、緑色の怪獣のぬいぐるみを忠実にセッティングしたのだから、その意気込みはなまはんかではない。「宮本武蔵は、神仏を尊び、頼らず、と言ったが、うちは神仏を尊び、頼る。いいものはやる。悪いものは避ける。だれにも迷惑かけんやろ」。連勝中はパンツを替えないなど、ゲンかつぎの大御所・野村監督のこだわりだ。

 最新AV機器のある部屋に、お札や天狗の面、ぬいぐるみが並ぶだけでもユニークだが、最後の「3ショット会見」も、爆笑掛け合いトークだった。「今日はご父兄として来ました。保護者です」。横目でチラチラとカツノリを見つめる「父克也さん」に、日ごろベンチで腕組みをする面影はない。当初、緊張した面持ちだったカツノリも、ジョーク交じりにひと言、「早く子離れしてください」。

 もっとも、日本屈指の子煩悩ぶりを発揮できるのも、この日が本当の最後。42年前、テスト生として倉庫を改造した合宿部屋からスタートした野村監督にすれば、愛息の行く末は心配してもし切れない。赤坂寮長に「ほかの選手と同じようにビシビシと鍛えてやってください」とあいさつし、さらにカツノリへ助言。「周りが気を使ってくれるのが心配。それに甘えないでほしい。監督の息子ということは避けて通れないんだから」と言い渡した。

 今後は、年末年始を除けばカツノリが実家へ戻る機会はない。「一人前になるまでは戻らないつもりです」。ほのぼのムードのユニークな同伴入寮も、親子ツバメにとっては、ちょっぴり寂しく、厳しい現実の始まりだった。

<野村親子メモ>

 ◆フル観戦 シニアリーグ港東ムース、堀越高、明大とカツノリが出場した公式戦では、野村夫妻どちらかが必ず観戦。

 ◆背番号33 「長嶋にならって」と野村監督自身が背番号33と決めたが、33の「保有者」中西へは事後承諾。登録名も球団との話し合いを前に「イチローにちなんでカタカナでカツノリ」と野村監督が独断で決定。

 ◆指南役指名 入団が決まると、カツノリの育成係に古田を指名。キャンプでの同室も一存で決めた。

 ◆一軒家 「克則には家がある」と沙知代夫人。退寮後のカツノリ用に、都内の一軒家を既に用意した。

※記録と表記は当時のもの