<日本ハム2-0西武>◇26日◇札幌ドーム

 男泣きの胴上げだ。西武渡辺久信監督(43)が就任1年目で、4年ぶり21度目のパ・リーグ制覇を果たした。26日、日本ハム戦(札幌ドーム)で敗れたものの、2位オリックスが楽天に敗れ優勝が決まった。渡辺監督は二人三脚でチームを築いた大久保博元打撃コーチ(41)と抱き合って泣いた。西武は26年ぶりのBクラス(5位)が確定したのが1年前の9月26日。1年で屈辱をはね返した。前年Bクラスから優勝した新人監督は史上3人目。失敗を責めず、長所を伸ばす野球で若い選手が成長した。10月17日から始まるクライマックスシリーズ(CS)第2ステージで第1Sの勝利チームと対戦する。

 マウンド付近で、西武ナインが輪をつくった。「監督ひと言お願いします」。「みんな1年間、本当にありがとう」。泣きすぎて、かすれた声で渡辺監督が、感謝を伝えた。それが合図だ。選手たちの手で4度、宙を舞った。100キロを超える体が、大またを開いて、豪快に胴上げされた。札幌ドーム全体から、温かい拍手が沸き起こった。

 プレッシャーから解放された涙があふれた。9回表、2位オリックスが敗れたことを伝え聞いた。チームはマジックを2にしてから4連敗。勝って、決めたかったが「こういう形であれ、優勝にこぎつけました。今までの優勝の中で忘れられない1つです。最高です」。堂々と胸を張った。

 今年は信念をもって「仏のナベちゃん」になると決めた。豪快で明るい。ビールかけでは「朝まで飲むぞ~。(午前)6時前ごろに帰って来たらバッキーン(罰金)」と叫んだ。12球団最年少の43歳の監督は、選手との距離が近い。結果が出ない時ほど「次頼むな」と声をかけて回り「おれなんか1カ月半勝てなくても笑ってたよ」と現役時代の“伝説の8連敗”の話を聞かせて、成長を待った。

 一方で死球連発にキレて、世界の王監督に食ってかかる激しさも見せた。選手は「いざとなったら守ってくれる」と「アニキ監督」を信頼した。カブレラ、和田が抜けて前評判の低かったチームだが、伸び伸びプレーで快進撃を始める。開幕14試合目の4月5日に首位に立つと、1度もその座を譲らず駆け抜けた。

 04年から2軍コーチ、2軍監督を3年務め、選手の特徴をつかんでいた。「ポテンシャルはNO・1。ただ、今の若い子は、しかられ慣れてない」。昨年は裏金問題もあり、力を発揮できる環境とはいえなかった。黄金期の管理野球は今の時代にそぐわないと感じ、「ミスは責めずに、取り返すもの」という考えをチーム全体に浸透させた。故障者が出ても、穴埋めする選手が必ず出てきた。

 現役時代は常勝西武のエースとして124勝。98年にヤクルトで1年を過ごした(1勝)後、兼任コーチとして台湾に渡った。この3年間が指導者の下地をつくった。「選手の目線まで下げて、身ぶり手ぶりで我慢強く教えてあげないとダメだった。それまでの僕は人の話を聞かないタイプ。すごくいい経験になった」という。

 1軍監督就任を要請された昨年の10月は、重責に「初めて眠れなかった」と悩んだ。ただ、昔から困っていると放っておけない性分だ。小学校の時、心臓の弱い子供を背負って学校に通い続けたこともある。プロ入りして親友の酒屋が経営難と知ると、登板前でもビールケースを運んで手伝った。今や年商数十億円という大企業になった。台湾では洪水でおぼれていた女性を救った。26年ぶりBクラスに沈んだチームも、放っておけなかった。

 不安にさせる表情は一切見せない。その反動で、自宅に帰ると倒れ込むように眠ることも多い。「黄金時代のできあがった大人のチームと違う、まだこれからのチーム。こいつら何をしでかすかわからないっていう魅力がある」。粗削りでも、個性あふれる戦う集団へ。誰よりも選手を信じた「仏のナベちゃん」が泣いて、笑った。【柴田猛夫】