<阪神5-5DeNA>◇30日◇京セラドーム大阪

 短くもったバットがクルリとまわって劇的弾が飛び出した。7回、代打攻勢のトリで阪神関本賢太郎内野手(33)が1号左越えに3ラン。球団では34年ぶりとなる開幕代打アーチになった。惜しくも延長ドローにおわってV弾は幻となったが、必死のパッチが身上の選手会長が、開幕から頼もしい。

 その瞬間、ベンチも、スタンドも総立ちになった。1-3と逆転された直後の7回2死一、二塁。代打関本が告げられた。フルカウントからDeNA加賀のスライダーが真ん中へ入ってきた。体がきれいにクルッと回転した。熱い思いを乗せた打球は左翼へ伸びた。代打逆転3ラン-。関本はベースを駆けながら、大歓声のど真ん中で右手を突き上げた。

 「自分の練習をしっかりやっていたし、自信を持って(打席に)入れた。四球であるなという感じだったし、とにかくヒットしか考えていなかった」

 昨季2本塁打、つなぎに徹する職人が起死回生の大仕事をやってのけた。本塁の向こうでは金本が破顔し両手を広げて待っていた。ベンチ前では初陣の和田監督が興奮気味に出迎えてくれた。先制しながら、エース能見が逆転される展開。沈みかけていたチームに勇気を与える1発だった。

 試合開始前、ミーティング室に全員が集まった。和田監督がスタメンを読み上げた。関本の名前はなかった。3年続けてベンチでの開幕…。だが、常に自分の役割を心得て、全うしてきた男に、指揮官がこう声をかけてくれたという。

 「選手会長としてチームをまとめてくれ」

 グラウンドに立っていても、立っていなくても、精神的支柱になる役割を求められた。そして、その信頼に応えてみせた。試合後も自身の本塁打のことより、チームの戦いぶりに言葉を費やした。球団史上34年ぶりとなる開幕戦の代打本塁打の快挙にも、まったく表情を崩すことはなかった。

 「それは知らなかった。まあ、それは別にどうでもいいんだけど。勝てはしなかったけど、負けもせんかったから。チームとしては最後まであきらめなかったというのが大きかった」

 鳥谷や、藤川のように胸に「C」のマークはついていない。だが、その背中からリーダーの自覚が伝わってきた。腐らず、おごらず、あきらめず。和田野球の土台を支える選手会長の1打が、開幕戦を熱くした。【鈴木忠平】

 ▼阪神関本の代打本塁打は、阪神の開幕戦では78年4月1日巨人戦(後楽園)の9回に大島忠一が加藤初から放って以来、球団史上34年ぶり2本目。セ・リーグでは91年4月6日に、中日川又が巨人戦で、大洋二村が阪神戦でそれぞれ放って以来、21年ぶり7本目。