<ヤクルト8-4広島>◇4日◇神宮
日本一の“脇役”が、雨の神宮で輝いた。ヤクルト宮本慎也内野手(41)が、史上40人目の2000安打を達成した。2回無死一塁から、広島福井の直球を中前に運んだ。94年ドラフト2位で「守備の人」として入団し、プロ18年目。41歳5カ月、史上最年長での記録到達は、プロ同期生日本ハム稲葉と同じ1976試合目だった。歴代達成者の中で本塁打は最も少なく、犠打は最も多い。レギュラーシーズン2年ぶりの超満員となった本拠地神宮で、声援は鳴りやまなかった。
降り続けた雨はやみ、神宮に青空が広がっていた。右翼スタンドの「慎也コール」が鳴りやまない。広島ファンだって拍手する。3万3866人の大観衆が見守る中、宮本が笑みを浮かべヒーローインタビューに立った。「ホッとしました。こんな満員の神宮で打てて幸せです」。日本一の“脇役”が主役になって輝いた。
雨の神宮で、基本通り投手の足元を狙った。2回無死一塁、福井の137キロ直球を振り抜く。スリッピーなグラウンドではねた打球が中前に抜けた。「バッティングの基本であるピッチャー返しで決められてうれしい」と笑った。両手を上げると、ベンチから仲間たちが走ってきた。入団時の担当スカウトだった小川監督から花束を受け取り、両外国人は深々とお辞儀した。みんな笑っていた。
残り10本からは重圧との闘いだった。1打席1打席、こんなに注目されたことはなかった。「僕は脇役なんだとつくづく思いました。弱いな」と漏らした。
入団時、体重68キロ。当時の野村監督に守るだけの人で「自衛隊」と称された。「そんな体でどうやってプレーするんだ」。それがすべてのスタート。宮本は「プロとして生きるすべを4年間で教えてもらいました。足を向けて寝られない」と感謝する。投手の攻め方を覚え、進塁打を打つ。それが「一流の脇役」になる道だった。
そして迎えた晴れ舞台。野球一筋に打ち込んできたご褒美のように、ゴールデンウイークの神宮だった。スタンドには苦労を知る両親と家族が集まった。「嫁さんはプロに入ってから野球1本でできるように協力してくれた。こんな時にしか言えない。ありがとうございました」。昨年2月、知美夫人(40)に甲状腺ポリープが見つかった。開幕直前に、良性か悪性か分からない状況。「もし悪い方だったら引退しようと思った。ずっとそばにいたかったので」。がんだったらやめる覚悟を決めた。
1男3女の父。知人のつてをたどった病院で、幸い良性と分かった。3月に手術で取り除いた。苦労をかけた分、記録は何よりの恩返し。最大10ゲーム差を逆転され昨年末、家族旅行が優勝旅行のハワイから、栃木・日光東照宮に変わった。長女陽菜(ひな)さん(12)の希望だった。「本当はハワイより、日光の方が良かったの」。長女は、もう中学1年生。「気を使ってくれるようになったんかな」。
41歳。時の流れは、自分自身が一番感じている。引き際については「2000本打って、優勝して、若手に抜かれてやめるのが理想」と言うようになった。2000本は打った。優勝も目指す。だが若手に抜かれる気配はまったくない。まだまだチームもファンも、宮本の力を必要としている。【前田祐輔】
▼宮本の打順別出場試合数は2番の770試合が最多で、クリーンアップでの出場は3番16試合、5番56試合しかなく、1番でも81試合。これまで2000本を打った選手はクリーンアップを長く務めた選手か、福本や柴田のような1番打者。クリーンアップ、1番の両方で100試合も出場していない選手が記録したのは初めてだ。



