<ソフトバンク0-6日本ハム>◇24日◇福岡ヤフードーム

 ソフトバンク小久保裕紀内野手(40)が、王手をかけてから33日目に史上41人目の2000安打を達成した。

 メモ力も磨いていた。小久保はプロ3年目の96年から日記を書き続けている。日々の練習や試合で気付いたこと、出会った人、本のこと、悩みや苦しみ、喜び。赤裸々につづった文面から人間・小久保の一端がうかがえる。2000安打の節目に初めて「小久保日記」を公開した。

 当時の王監督、故高畠打撃コーチに勧められ、始めた習慣だった。「(王)会長は、現役時代、枕元にメモ帳とペンを置いて、寝ててひらめいたことを書いていたというから」。96年といえばまだインターネットも十分に普及していない。メモ魔になって先人の言葉たちを記した。

 96年2月12日

 「松永さんヘルメットを深くかぶるという事は高目の視野が狭くなる」

 小久保がヘルメットを深くかぶるルーツは史上最高のスイッチ打者と呼ばれる松永浩美。高めのボール球に手を出さないようまねた。

 「打席で迷っている」「原点に戻ろう」「調子が悪い時に取り組むことは…」「練習で良かったので試合で雑に」…。3割で一流打者の世界。2000安打までの道のりは悩みの連続だった。日々の気付きや松中、城島ら後輩の助言も残した。02年オフには大きな覚悟を決めた。

 02年オフ

 「2004年のメジャーに向けて3割30本30盗塁を目標にする」

 当時ダイエーの中内社長に打ち明けたメジャー挑戦の野望。しかし、準備期間とした03年に右膝重傷。夢を断念した。

 03年3月6日

 「前十字内側じんたい断裂」同4月25日「Drヨーカムの元手術」

 以降は空白で、9月18日の「ようやくバットが振れるように…」で再開する。その後は内面の強さを求める記述が増える。08年秋は監督交代。育ててもらった恩人の言葉を一夜明け、自分の誕生日につづった。

 08年10月8日

 「王監督最後の言葉自分に勝て誇り高き戦士になれ」

 秋山ホークス1年目の09年に主将に就任した。5月12日、13日は調子が上がらない自分を「あきらめるには早すぎる」とむち打ち、仲間への思いも記した。

 6月7日

 「2試合連続ホームランしかし、最後馬原でサヨナラ負け彼の痛みはみんなの痛みチームなんだから辛さ痛み喜びを共有する」

 8月4日

 「大隣にきれた期待する選手だから」

 首痛から復帰した2年前に「この日」を意識していた。

 10年7月10日

 「第2の開幕2000本安打に向けてただそれだけ!」

 12年6月24日。万感の思いでまた、ペンを走らせたに違いない。【構成・押谷謙爾】