<セCSファイナルステージ:巨人3-2中日>◇第5戦◇21日◇東京ドーム

 王手をかけてからまさかの2連敗に、中日高木守道監督(71)のイライラが爆発した。サヨナラ負けを演出してしまった9回の岩瀬登板を巡り、権藤博投手コーチ(73)との「70歳代バトル」が再び発生。浅尾や山井をイニングの頭から出さなかった継投に、不満を爆発させた。最終戦に勝った方が日本シリーズ進出という、18年前のGD激突「10・8」と似た状況になった。

 痛恨のサヨナラ負けで逆王手をかけられ、タヌキだった高木監督がライオンに豹変(ひょうへん)した。帰りの通路を報道陣にふさがれると「オラッ!」と一喝。守護神山井が打たれたら仕方ないとの問いに「しょうがないわけないやん!

 頑張ってたらいいのか!

 (最初から)三振の取れる投手を出さんとダメやろ!」と吐き捨てるように言った。継投について問われると「そんなことはピッチングコーチに聞いてくれ!」を連発した。

 この大詰めに来て、権藤投手コーチとの70歳代バトルが勃発したようだ。緊迫の接戦。権藤コーチはアクシデントで4回途中に降板した先発山内から三瀬、武藤、小林正、田島、高橋聡、岩瀬、山井とつないだ。高木監督は、一番信頼できる浅尾や山井をイニングの頭から出さなかった継投に、不満を爆発させた。特に岩瀬がマウンドに上がった9回裏は、2人の激論がテレビでも大映しになった。

 権藤コーチは「やれることはやるけど勝つか負けるかは試合だから。9回は岩瀬でいくつもりだった」と冷静に言葉をつないだ。勝負はもっと先の回で、9回の下位打線は岩瀬で抑える計算もあったのだろう。結果としてサヨナラ負けで逆王手の現実が残った。試合前は「早く名古屋に帰りたい。勝ちゃ帰れる」などと上機嫌だった高木監督の目はつり上がった。

 「中日らしさが出てきたよ。お互いらしさが出てきたやん。これで明日最後、ちょうどいいんやない?」。最後だけ努めて平静を装い、バスに乗り込んだ高木監督。くしくも、前回監督を務めた伝説の10・8に似た、巨人と最終決戦の舞台が整った。勝ちたいために数々のケンカを展開した70歳代バトルの最終章は、笑って喜び合いたい。【松井清員】

 ▼中日は8番手の山井が打たれてサヨナラ負け。プレーオフ、CSで1試合7投手は過去6度あったが、8人の投手が登板したチームは初めて。日本シリーズでも1試合8投手は97年<4>戦西武があるだけで、ポストシーズンでは2度目の最多タイ。97年西武も敗れており、ポストシーズンで8投手のリレーで勝ったチームはまだない。なお、中日がポストシーズンでサヨナラ負けを喫したのは、88年西武と対戦した日本シリーズ<5>戦以来2度目。

 ◆伝説の10・8

 94年10月8日、ナゴヤ球場で行われた中日-巨人26回戦。日本プロ野球史上初めて、シーズン同率首位で並んだ(69勝60敗)チーム同士が最終戦を戦い、巨人が優勝した。2点を先制した巨人は先発槙原が2回途中で同点にされると、中1日の斎藤にスイッチ。斎藤が5回1失点の好救援で、その間に中日を突き放した。7回からは中2日の桑田が後続を断ち、初セーブ。高木監督の中日は5失点の今中を4回まで引っ張り、その後も通常の継投。中継ぎ待機していた山本昌や守護神郭源治を出せず一方的な展開になった。