<オリックス6-7日本ハム>◇14日◇ほっともっと神戸

 道産子1号の待ち望んだ白星が生まれた。日本ハムのドラフト3位ルーキー鍵谷陽平投手(22)がプロ初勝利を挙げた。6回から3番手で登板し、2イニングで2三振を奪う完全救援。8回に勝ち越しの3点が入り、節目を飾った。北海道内の出身選手が勝利投手となったのは、04年に本拠地を移転してから今季で10年目で初めて。地元選手の台頭を熱望していた球団にとって、歴史的な1勝をもたらした。

 北海道中が夢見ていた。北海道日本ハムファイターズが誕生してから10年目。やっと白い星が、舞い降りた。ルーキー鍵谷が、幸せを運ぶ使者だった。道内出身者による1勝は初めて。1年目、わずか登板7試合目で大きく、価値ある達成者になった。「そういうチャンスは(今季)僕にしかなかったと思うので、うれしい。それが本当にうれしい」。プロ初勝利に、誰もが味わえなかった思いが加わった。マウンドでは微動だにしないポーカーフェースが、少し崩れた。

 厳しい冬がある北の大地で育まれた献身さが、運も呼び込んだ。1点ビハインドの6回から3番手で登板。3者凡退に切った直後、同点にしてもらった。「自分の仕事をしようということだけ考えた」と無心で腕を振った。開幕からの登板7試合はすべて1イニング以下。栗山監督に託された未知だった2イニング目の7回は2三振を含む打者3人で切った。乱打戦を締め流れをつくると直後の8回、勝ち越しの3点の援護を受け、白星をつかんだ。

 自力で切り開いてきた道に、新たな節目ができた。函館にほど近い道南の七飯町出身。高いレベルを求めて高校は、名門の北海に進んだ。甲子園に出場しプロも注目する右腕だったが、大学は東都リーグの強豪の中大へ。すべて鍵谷本人の意思だった。プロ入りしてからも独りで切り開くという、成功哲学を貫いた。父幸一さん(54)母政子さん(59)がメールをしても、返信はまちまち。開幕1軍決定時など変化があれば「おめでとう」などと祝福しても、ただ「ありがとう」しか、したためなかったという。

 理解ある温かい両親はプロ初勝利の瞬間、七飯町の実家のラジオで、待望の瞬間までチェックしていた。「ハラハラドキドキしながらラジオでずっと聞いていました」。政子さんは感極まって、ラジオの前からしばらく離れられなかったという。連敗を止め、両親と同じような思いで孝行息子に感謝した栗山監督もしみじみと浸った。「いい勝ちをつけてあげられて良かった」。球団史の扉を開いたとはいえ、まだ1勝。鍵谷は「まだまだ積み上げていきたい」と、既に前を見据えていた。道産子選手のパイオニアとしてもっと切り開いていく未来、使命がある。【高山通史】

 ◆鍵谷陽平(かぎや・ようへい)1990年(平2)9月23日、七飯町生まれ。七飯小1年から野球を始める。七飯中まで軟式で投手兼内野手。北海高では2年秋からエース。3年夏は南北海道大会を制し、母校を9年ぶり34度目の甲子園出場に導いた。東都・中大では最速152キロ、4年春は防御率0・97(2位)。12年ドラフト3位で日本ハム入団。家族は両親、姉、兄、祖母。右投げ右打ち。177センチ、80キロ。