<ソフトバンク5-9日本ハム>◇24日◇ヤフオクドーム

 寺原隼人投手(29)は炎上する救援陣をぼうぜんと見つめた。ソフトバンクでの7年ぶりの“再デビュー”は悲惨な結末を迎えた。「早い回に代わってしまったこと、試合をつくれなかったこと、チームに申し訳ないです」。先発で3回1/3を投げ、8安打5失点とゲームメークに失敗。日本ハムの導火線に火を付けてしまい、チームは今季ワースト18被安打、同タイ9失点で敗れた。

 1回1死から連打で一、三塁。4番中田を胸元へ食い込むツーシームで三ゴロに打ち取るも、併殺崩れの間に1点を失った。立ち直りかけた4回1死でアブレイユにソロを浴びると、ここから四球、3連打、四球と崩れた。秋山監督は「持っている球を操れないと自分の投球はできない。スピードは出ている。真ん中に寄ってんじゃないの」と制球面の課題を残念がった。

 試合前、当時の福岡ドームでプロ初勝利をつかんだ試合での珍事件を思い起こした。02年4月28日オリックス戦。6回無失点で先輩たちにバトンを託し、ベンチで見守った。「大越さん(現早鞆高監督)に『高卒ルーキーの初勝利はハイタッチするからマウンドに走るんやぞ』と言われて出ていったら、鳥越さん(現内野守備走塁コーチ)に『何しとんの』って。懐かしいですね」。純朴な1年生はゲームセットの瞬間、守護神ペドラザを目指して飛び出し、大爆笑を誘った。

 「あれからいろいろ経験しましたから」。横浜(現DeNA)、オリックスと2度のトレードを経験し、FA移籍で古巣復帰した。剛速球で押しまくるだけでなくツーシームでバットの芯を外し、カーブでタイミングを外す。そんな大人の投球術は初陣では不発だった。それでも、振り返れば02年ダイエーでの初勝利は2試合目だった。2度目の「ホークス1勝」も仕切り直して、手にしてみせる。【押谷謙爾】