日米通算182勝を挙げた西武石井一久投手(40)が24日、今季限りでの現役引退を表明した。埼玉・所沢市内の球団事務所で会見し、22年間の現役生活を振り返るとともに、すでに吉本興業への転職に成功していることを公表。メジャーでも活躍した左腕がお笑いの会社に勤め、野球評論家と“二足のわらじ”で新たなスタートを切る。球団は引退セレモニーなどを用意する準備に入った。

 石井が潔く、穏やかに引退を語った。プロ生活22年を「長かった。時期的にそろそろかなというのがありました。今年オフの自主トレで(引退を)決意していました。やれるという気持ちもあるけど、そこに向かうまでの準備に疲れたかな」と決断した理由を明かした。昨季10勝を挙げたが、今季は左肩痛などで出遅れ、登板は慣れない中継ぎでの7試合止まり。長いファーム暮らしで、気持ちの維持も難しかった。

 野球人生に区切りをつけ、セカンドキャリアへのビジョンは明確だった。「しっかりネット裏から野球を見て、自分に何か話があった時に応えられる土台というか、器をもっておきたい」と解説者を経ての指導者に興味を示した。一方で「野球だけで生きていたくない。先日、吉本興業の契約社員になりました。会社の仕組みを知りたいし、言葉遣いも学びたい。来年4月1日から新人研修です。広報部がいい」と会見場を笑いで包んだ。

 冗談かとも思えたサラリーマンへの転身は、本当の話だった。会見に同席した吉本興業広報担当の矢野彰さんは「会社の幹部と面接をして“スポーツ推薦枠”で合格しました。3年契約で、高卒の新入社員と給料は同じ。しゃべりができて、人脈もある。将来を嘱望する人材です」と語った。発想がユニークで、期待を裏切らないトークは野球ファンにはおなじみ。お笑いの会社でも“即戦力”と期待されて入社する。

 社会人としての意識を強めたのは、3度の日本一を経験したヤクルト時代の恩師の教えがある。「野村監督から、野球人の前に、立派な人間であれという言葉をいただいて、実践しているつもりです」と心の支えにする。名球会入りの条件となる日米200勝にあと18勝だったが「全く興味がない。200勝しても、人としてしっかりやれるかだと思う」と言える。

 明るいキャラクターで後輩に慕われ、まわりには笑顔の人だかりができる。この日も、引退会見とは思えない和やかな雰囲気に終始。思い出に「いろんな友達をつくれたこと。ヤクルトも西武も向上心を持った素晴らしい選手ばかり。そういう人たちと楽しくやれて、知り合いになれたことが宝物です」と答えたのも石井らしい。現役への未練を残さず、球界きっての個性派が軽快に次のステージへ進んだ。【柴田猛夫】

 ◆石井一久(いしい・かずひさ)1973年(昭48)9月9日、千葉県生まれ。東京学館浦安から91年ドラフト1位でヤクルト入団。ポスティングシステムで02年ドジャース入団。05年にメッツへ移籍し、06年ヤクルト復帰。07年オフにFAで西武移籍。主な記録は97年9月2日横浜戦でノーヒットノーランを達成。98年のシーズン奪三振率11・05はプロ野球記録。通算1500、2000奪三振をプロ野球最速で達成した。日本シリーズは高卒1年目の92年第3戦(対西武)に先発するなど、日本一を5度経験。左投げ左打ち。185センチ、100キロ。今季推定年俸1億9000万円。家族はフリーアナウンサーの彩子夫人と1男。