<日本ハム3-0西武>◇13日◇函館

 天命を感じていた。日本ハム栗山英樹監督(53)は、物思いにふけった。大谷の初完封を見届け、こみ上げた。「久慈さんに感謝だよね」。

 深々と頭を下げた。静かに手を合わせた。練習開始前の午前9時。グラウンドへ入る前に、函館オーシャン球場の外へ足を向けた。球場前に鎮座する、戦前の名捕手・久慈次郎氏の銅像へ歩み寄った。右手と左手に計2杯のホットコーヒー。像の前に1杯を置き、語りかけた。「久慈さん、コーヒーですよ」。脱帽して、黙礼した。約3分間、その場で“一緒”にモーニングコーヒーを堪能した。大谷快投への祈りをささげ、かなった。

 先人にあたる。久慈氏は大谷と同じ岩手出身。社会人都市対抗で「久慈賞」の由来となった伝説の野球人だ。盛岡中から早大を経て函館オーシャン(現函館太洋倶楽部)に在籍。39年、相手選手の送球が頭部直撃して40歳で死去した。「ここ函館で(大谷)翔平が投げる。何かあるんだろうね」。栗山監督は前日12日の練習後、チームと移動を別にした。久慈氏が眠る函館市内の称名(しょうみょう)寺へ墓参した。

 厳かに墓前では正座をし、合掌したという。日本ハム製品と、中田がデザインされた清涼飲料水。ほかにビールとタバコ、コーヒーを花と一緒に手向けた。そしてこの日朝。再び神通力をもらうため、銅像へもお願いをした。久慈氏は捕手として若き日の沢村栄治氏、スタルヒン氏ら名投手の指導係だったともいう。「球聖」の称号も持つ、北海道野球史の父と言える存在。入団1年目から重圧十分に、日本球界の至宝を預かる栗山監督の思い-。

 栗山監督

 こういう風になってからが翔平のスタートだから。

 久慈氏に、大谷に、もしかしたら届いたのかもしれない。【高山通史】