<日本ハム11-7ロッテ>◇14日◇札幌ドーム

 苦節まみれの野球人生に1つ、花を添えた。日本ハム河野秀数投手(26)が2年目でプロ初白星をつかんだ。大荒れの展開の5回無死一塁。1点ビハインドで、お呼びがかかった。2番手谷元が右肩の張りを訴え、後を受けスクランブル登板。1死満塁のピンチも無失点。直後、ご褒美の逆転劇を受けた。足かけ45試合目のマウンドで記念日が到来した。稲葉と並んでお立ち台。「自分でいいのかな、というのがあります。緊張しています」と戸惑った。

 超消極的に、突き進んできた。「いつ野球をやめていても、おかしくなかった」。小学生を卒業時に1度、断念しかけた。同じマンションの住人に中学の軟式クラブに誘われ「やめにくくなって」と中学3年間、まっとうした。高校は練習が厳しくない公立校なら続けようと、阪神名内野手の吉田義男氏がOBの京都・山城へ。「私立なら野球はやめていた」。

 薄氷の軌跡が突如、激変した。高校で本格的に投手転向。右上手の最速147キロ本格派でプロの注目も浴びた。佛教大へ進み、1年生の1年間を椎間板(ついかんばん)ヘルニアで棒に振った。復帰と同時にコーチに勧められ、現在の横手投げへ変更。「合っていた」と開花の契機だった。

 その先も無欲、消去法の選択だった。「就活したくない」から野球継続を選択した。社会人の新日鉄住金広畑入りし、遅咲きの反骨心が目覚めた。「本気でプロへ行こうと思った」。名門チームと比べて給与が低く、スイッチが入った。事務処理や請求書を持っての得意先回りなどの業務もこなし、チャンスを待った。

 12年ドラフトで1位の大谷と同期入団。社会人ながら、最下位7位指名も迷いなく飛び込んだ。「恵まれた社会人チームからくる選手の気持ちが分からない。給料も安定しているのに…」。自らは元来の安定志向も打ち破り、進んだ厳しい世界。活躍の秘訣(ひけつ)は「普通にやる」だけと背伸びせず、今も生きる。河野のように、プロ野球界で未来を切り開く人もいる。【高山通史】