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2010年9月20日

富士大の153キロ左腕・中村は未完の大器

富士大の153キロ左腕・中村

<北東北大学野球:青森大3-2富士大>◇第4週1日目◇18日◇遠野市営

 最速153キロ左腕・中村恭平投手(4年=立正大淞南)を擁する富士大。中村が先発するも、延長11回の末に敗れ、神宮への道が閉ざされた。

 「青森大には2連敗している。苦手なイメージがある。3度目の正直で勝ちたかった」。

 7回2失点。中村は帽子を脱いで、申し訳なさそうにベンチの奥へ引っ込んだ。残り全勝しても優勝には届かない。昨年に続く全国舞台は叶わなかった。

 昨年の大学選手権で注目株になった。準決勝の近大戦でリリーフ登板。3回を無失点に抑えた。球速は最速149キロをマーク。開幕直前にメンバー入りしたため、大会パンフレットに名前がなく、ネット裏が「一体何者だ!?」とざわついた。当時は185センチ、68キロの細身。50球のうち変化球は2球だけで、ストレートのコントロールもアバウトだった。

 「とりあえずミットの真ん中目指して投げていました。キャッチャーとも真っ直ぐと首を振るサインしか準備していなかった。それくらいコントロールが悪かった」。

 全国経験が中村を変える。「もう1回神宮で投げたい。上を目指すために、自分が何をやるべきか考えるようになりました」。一番の課題は体力不足だった。特に腕の筋肉と下半身強化に熱心に取り組んだ。中村はウエートトレーニングは大の苦手。ベンチプレスはわずか30キロに設定していたという。見かねた青木久典監督が「一緒にやろう」と声をかけ、50キロからスタート。「きついとか言っていられないですよ」と、マンツーマンの指導が始まった。1年間で体重が7キロ増の75キロと一回り大きくなった。

 立正大淞南(島根)時代は軟投派。ソフトバンク和田毅投手のような、腕が遅れて出てくるフォームでスライダー、カーブ、スクリューを操っていた。ストレートも120キロに届くかどうか…。引退後、50メートル走、遠投などの記録が大幅に伸びた。大学入学直後に球速を測ったら140キロ超え。「どうして? いや、自分でもよくわからない」と、本人が一番驚いている。

 ところが今は、得意だった変化球が上手く投げられないと悩む。青森大戦でも、ベースよりかなり手前でバウンドしてしまう変化球があり、スライダー以外のチェンジアップ、カーブは自信が無さそうだ。高校卒業後は、調理の専門学校へ進学希望だった。手先が器用で、レシピさえあればお菓子なども作る。「細かいものを作るのが好きなんですが、でも変化球が投げられない…」と苦笑い。すかさず青木監督が「ええ? その気になれば覚えられるじゃないか」とチクり。中村も投球の幅を広げたいと真剣で、上の世界で習得するつもりだ。

 ストレートは球威十分。左腕から常時140キロ台中盤をマークし、インコースも強気で攻めていく。この日もインコースで奪った三振が3個を数えた。これは大学選手権では見られなかった姿だ。今春はコントロールを気にするあまり萎縮して結果も出なかったが「良さがなくなる。もっと思い切って腕を振ってみろ」と、青木監督からアドバイスされた。

 最も調子が良かったという12日の青森中央学院大戦には、7球団のスカウトが集結。ここでも最速148キロがインコースに決まっていた。未完成な部分が多く荒削り。ただし、この1年間の成長は著しい。青木監督も「進化の真っただ中」と話す。

 福岡で生まれ育ち神奈川へ。島根、岩手と渡り歩いた左腕が、次に羽ばたくのはどこか。【矢島彩】

 ◆中村恭平(なかむら・きょうへい)1989年(平元)3月22日生まれ、福岡県出身。中学時代は横浜青葉ボーイズに所属し控え投手。立正大淞南(島根)では3年春からエースで、夏はベスト8。富士大では1年春からベンチ入り。3年春の大学選手権で149キロを計時し、一躍ドラフト候補に。今春からエース。好きな選手は日本ハムのダルビッシュ。186センチ、75キロ。左投げ左打ち。

ドラフト2010
小関順二(こせき・じゅんじ)
 1952年生まれ、神奈川県出身。日大芸術学部卒。会社勤めのかたわら「ドラフト会議倶楽部」を主宰。本番のドラフト会議直前に「模擬ドラフト会議」を開催し注目される。その後スポーツライターに転身。アマチュア野球を中心に年間200試合以上を生観戦。右手にペン、左手にストップウォッチを持って選手の動きに目を光らせる。著書に「プロ野球問題だらけの12球団」ほか多数。家族は夫人と1女。
矢島彩(やじま・あや)
 1984年生まれ、神奈川県出身。5歳くらいから野球に夢中になり、高校時代にアマチュア野球中心に本格観戦を開始。北海道から沖縄まで飛び回り、年間150試合を観る。大学卒業後フリーライターに。雑誌「アマチュア野球」(日刊スポーツ出版社)などに執筆中。好きな食べ物は広島風お好み焼きと焼き鳥(ただしお酒は飲めません)。趣味は水泳。
福田豊(ふくだ・ゆたか)
 1962年生まれ、静岡県出身。85年日刊スポーツ新聞社入社。野球記者を11年。巨人、西武、日本ハム、アマ野球、連盟などを担当。野球デスクを7年勤めた後、2年間の北海道日刊スポーツ出向などを経て、現在は毎朝6時半出社で「ニッカンスポーツ・コム」の編集を担当。取材で世話になった伝説のスカウト、木庭教(きにわ・さとし)さん(故人)を野球の師と仰ぐ。「ふくださん」の名前でツイート中。

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