2位も甲子園の申し子だ。阪神は25日、都内で開催された「プロ野球ドラフト会議

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 TOSHIBA」で、甲子園3季連続準優勝の光星学院・北條史也内野手(18)の指名に成功した。大阪・堺市生まれの北條は、生粋の阪神ファン。日本代表のチームメートだった藤浪とともに、高校時代に4本塁打した甲子園で暴れ回る。

 ラッキーアイテムの赤いパンツで決めていた北條に、吉報が届いた。「1位が終わって、このまま呼ばれないんじゃないかと思っていた。地元の大阪で、ずっと見てきて、阪神に入りたかった」。虎党がそろう実家のテレビは、いつも阪神戦が流れていた。特に祖父優さん(81)は試合の勝敗で機嫌が変わるほどの筋金入りで「阪神に入ってくれたらうれしい」と、いつも言われていた。幼稚園時代に初めて買ってもらったバッティング手袋は、元阪神の浜中治モデル。導かれるように縦じまへ袖を通す。

 決してエリートではない。08年の全国制覇を見てあこがれた大阪桐蔭への進学がかなわず、青森へ。見知らぬ土地での心の支えが、大阪の友人にもらった寄せ書きの色紙だった。熱いメッセージの中に、こんな言葉があった。「絶対嫌なことはあるから、オレは無理やったけど、お前は頑張れよ」。宮崎の高校へ野球留学したが、すぐにやめて働いていた美木多中の先輩からだった。「練習は厳しいし、1年の夏にプロも1度諦めた。でも、やめて地元に帰るのだけはかっこ悪いし、嫌だった」。成長の原動力は意地だった。

 東北で飛躍し、甲子園3季連続準優勝。大会史上初のバックスクリーン2連発を含む4本塁打を放った聖地は「人生を変えてくれた場所」。本拠地として戦えることに「ワクワクしてます」と興奮を隠せない。さらに、春夏の決勝で好勝負を演じた、藤浪という心強い味方ができた。「1週間くらい前にメールしたばかり。まさかと思った。藤浪は頼りになるし、野球への姿勢とか見習う部分もある。2人で頑張りたい」と、甲子園を沸かせた投打のヒーロータッグ結成を誓う。

 小学生の時、初めて甲子園で見た試合が阪神-中日戦だった。当時中日にいた福留が活躍し、右翼の守備位置で阪神ファンからやじられていたのが思い出だという。「熱血なファンの前で、中途半端なプレーはできない。レベルアップして、また(バックスクリーンに)打ちたい」。今度は阪神北條として、マンモスを熱狂させる。【亀山泰宏】<北條史也アラカルト>

 ◆経歴

 1994年(平6)7月29日、大阪・堺市生まれ。小4の時、浜寺ボーイズで野球を始める。美木多中ではオール狭山ボーイズに所属し、通算30本塁打。光星学院では1年春からベンチ入りし、1年秋の東北大会から遊撃手のレギュラー。2年秋の神宮大会準々決勝で大会史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打を放つなど高校通算25発。

 ◆特技

 野球を始めるまでやっていた体操は、小3で鉄棒全国2位。野球に転向した当初は一塁手をやると180度開脚して低めの送球をさばいたことも。今でもバック転ができる。

 ◆ルーティンの鬼

 試合の時に着るものや持っていくタオルは常に同じ。試合前日は「YouTube」で西武浅村の大阪桐蔭高時代の映像を集めた「高校野球史上最強の1番打者」という動画を必ず見ていた。打席に入る時も順番に行う決まり事がある。

 ◆レゲエ好き

 好んで聴く音楽はレゲエや洋楽。登場曲も「レゲエにしようかな」。甲子園出場時に野球部員で記念タオルをつくった時は、ジャマイカの国旗仕様のカラーにしてご機嫌だった。

 ◆サイズ

 177センチ、75キロ。血液型O。