<三沢光晴選手死去…ファン追悼メッセージ=54>

 ◆本当に三沢選手のファイトをビデオ・会場などで観戦するたびにものすごく励まされました。未だに信じられないです。あちらで馬場さん・鶴田さん・大熊さん・薗田さん・冬木さん・橋本さん・ブロディ・コディ・オブライトとともに今後のプロレス界を見守ってください。本当にありがとうございました。ゆっくりあちらで休んでください。(20代男性)

 ◆やっと、ゆっくりできますね。今まで本当にお疲れ様でした。たくさんの夢と勇気と感動をありがとうございました。三沢さんのことは一生忘れません。ありがとうございました!(30代男性)

 ◆斎藤宅に嫌がらせ?

 誰だ。そんなことをしても三沢さんは帰ってこない。お願いだからやめましょう。三沢さんだって知ったら辛いでしょう…。斎藤選手は悪くないよ…。逆に私は斎藤選手をこれから応援していきたいと思います。三沢の分までがんばれ。それと、三沢が亡くなり怪我で丸藤、秋山が欠場。川田さん、ノアを助けてくれ。ハッスルなんか辞めてノアにフリーでいいから継続参戦してくれ。(30代男性)

 ◆昨日の名古屋大会観戦に行かせて頂きました。献花台に飾られた三沢選手の遺影を見て涙がこぼれてきました。試合内容は気迫のこもった試合でしたよ。三沢選手の魂はプロレスを愛するすべての人の心に生きている確信しました。プロレスはこれからも変化はあるでしょうが、ファンとレスラーが1つになり、良い方向へと進むと思います。空の上からプロレスを愛する人々の声を聞いていてください。プロレスは永遠だから大丈夫です。愛する心は1つです。(40代男性)

 ◆本当に信じられない出来事だった。最初は、何か違う事故で三沢という人が亡くなられたのかと思っていたが、まさか、三沢光晴だとは思いもしなかったために、そのニュースを聞いたときはビール片手に、しばらく時が止まったかのように放心状態になった。次第に、胸にグッと悲しみが込み上げた。自分が、プロレスファンになってもう30年以上になるが、特に熱狂したのが、全日本が激震したSWSでの大量離脱が起こる前後の90年代、不動のエースだったジャンボ、天龍、三沢、川田、冬木、ハンセン、ブロディ、ゴディ等の個々の激戦は、時を経ても、自分の中に勇気やファイトを貰った事は数知れず。中でも、三沢がタイガーという仮の姿を捨て、三沢光晴としてジャンボを破ったのは涙が止まらなかった。そして超世代軍の、川田、小橋、田上とのフルタイムに及ぶ激戦…。特にノア旗上げ以降は、袂を別れた川田と、いつか、三沢が交わる『時』をずっと切に願っていた。プロレスをあれこれ文句いう人がいるが、プロレスというスポーツを通して、戦う男達の人生があり、出会いがあり、別れがあり、ドラマがあり、そしてその先に感動という現実があると思う。確かに、三沢光晴はいなくなったが、川田や小橋やノアのリングにはいつも三沢がいる。三沢さん、人々に大きな感動と勇気を貰えた事に感謝します。『ありがとう』、そして今頃天国で、師である馬場さんやジャンボらと抱き合い、仲の良かった冬木さんからは苦笑いして追っかけられてる三沢さんが目に浮かびます。そして、橋本真也と再会し、語り合っていることでしょう。ありがとう三沢、ありがとうエルボーの貴公子。(30代男性)

 ◆ノアファンになったのがあの2003・3・1武道館でした。今まで熱い戦いで感動させてくれてありがとうございました。(20代男性)

 ◆三沢さん…急に天国にいかれましたけどそちらはどうですか?

 園田さんとは逢えましたか?

 一番優しくしていただいた先輩ですよね。天国でもロープワークの練習してるんですかね。冬木さんとは逢えましたか?

 もう飲みに行きましたか?

 百田さん、鶴田さん、そして馬場さんには逢えましたか?

 皆さんに「なんでこんなに早くくるんだ」って叱られたりしませんか?

 でもきっとその後「今まで大変だったな。ご苦労さん」「ゆっくり休みなさい」って優しく微笑んでもらえたんじゃあないですか?

 少しゆっくりしていてくださいね。お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。(40代男性)

 ◆三沢さんが天国に逝って6度目の朝が来ましたが、今でも信じたくない自分がいて、でも認めなければならない現実に今でも涙が溢れてきます。でもそれでは駄目なんですよね…。三沢さんが体をボロボロにしながらも私達に見せてくれたのは、挫けそうになって負けそうになった己に克つ克己心だったハズですだからこそ、三沢光晴のファンである私達は頑張って前を向いていかなければならないですよね。そうしないと三沢さんも天国でゆっくりできないですよね…。いままで本当にお疲れ様でした。少し休んでいてください。貴方のファンである事を幸せに思います。そしていままでありがとうございました。(40代男性)

 ◆三沢さんのなくなられた記事を見て号泣しました。もう毎日涙が流れます。1990年ロスアンジェルス時代、仕事もなく、時間ばかりある頃必ずビデオで全日本を見ておりました。タイガーが突然マスクを脱いで素顔になったシーンは強烈でした。鶴田選手に挑戦し、ウイリアムス、ゴデイ、ハンセンにぼろぼろにされて尚挑戦する姿に涙しました。1999年、サンフランシスコ時代突然、TVに百田選手と三沢さんが出てきて馬場さんのご逝去を告げました。そして2009年ついに三沢さんが不慮の事故で亡くなられ、20年の青春の思い出が走馬灯みたく駆け抜け色々な感慨が蘇りました。川田選手の怪我で高山選手、ベイダー選手との2連戦も強烈な思い出です。修行僧みたいに自分をとことん追い詰め、常に「気持ちの問題」とどんなに苦しくとも愚痴をこぼさずに笑っている姿勢に真の人間の器の大きさを感じました。でも、長年の激闘でもう体はボロボロだったのですね。でも、三沢さんは大きな宝を残してくれました。馬場さん、鶴田さんと同じように「ひたむきに努力する姿勢」。今の時代、悲惨な記事が多いですが「忍耐と努力」、この言葉の重みを改めて教えてくれました。こんな悲しい出来事はありませんが、真面目にこつこつ頑張ることで少しでも三沢さんの生き方を実践したいです。駄目な私に20年以上も苦しい時、悲しい時、試合で多くの勇気を下さり有難うございます。心より感謝します。(40代男性)

 ◆長くは書きません。ただ一言、「ありがとう」。(30代男性)

 ◆まさか、貴方が…?

 未だにこの思いに駆られています。しかし、各紙記事を読めば読むほど、以前から貴方の身体は悲鳴をあげ、満身創痍という言葉ではくくれないほどになっていた事を知りました。でもそれを決して表に出さず、ただひたすらにプロレスのメジャー化、統一機構の整備、福利厚生に至るまで、忙殺そのものだった日々というのも同時に知りました。貴方ほど真にプロフェッショナルだったと言っても過言ではないでしょう。幼い時からプロレスをこよなく愛し、己の信じた道を突き進んだ姿…誠にお見事でした。惜しむらくは、貴方が現役での悲報だった事。その邁進される道の、まだ「途中」だった事。もしかすると、貴方の悲報が大きなうねりとなって、マット界に大きな風が吹くかも知れません。その時を、どうかそちらで見守ってください。三沢光晴…。世界のエルボーと共に、マット界を語るに欠かせない存在になってしまいました。ただただ、合掌…。(40代男性)

 ◆中学生の頃、人生で初めて尊敬し、憧れた人です。テーピングまみれで試合をしてた姿に、男の責任感を教えられました。とても追いつける存在ではないけど、強くて優しく大きな心は「三沢イズム」として胸に焼き付けておきます。(30代男性)

 ◆訃報を聞いたときは、信じられないの一言でした。それが、事実だと確認できたとき初めて、失って解る悲しみを体験しました。正直、プロレスは大好きでしたが、観るのが怖くなりました。三沢選手の事故死を受け入れられたとき、再びプロレスを受け入れる事が出来ると思います。三沢選手。何故ですか?

 おかしいですよね?

 本当に悔しいです。でも、今までお疲れさまでした。色々な感動をありがとうございました。僕も貴方のファイトを観て、頑張ってこれたと思います。安らかにプロレス界を見守ってやって下さい。本当に、本当に、今までありがとう。(30代男性)

 ◆1995年4月2日、ベースボール・マガジン社主催のオールスター戦『夢の懸け橋』が東京ドームで行われました。スパルタンXのテーマ曲が鳴った時、6万人の三沢コールが響いたのを思い出します。この日一番、ダントツの声援でした。ファンはそれぞれひいきの各団体、選手がいるのですが、このミサワコールを聞いた時、プロレスはひとつ、スタイルやイデオロギーの違いこそあっても、三沢光晴のプロレスを誰もが認めている世界最高峰のものだと実感しました。三沢さん、あなたと同じ時間に生きる事ができて、そしてあなたを観る事ができて、勇気と感動をもらえた事を誇りに思います。(40代男性)

 ◆三沢光晴様。私の青春時代は、あなたとともにありました。あなたが、鶴田さんに勝ったとき、うれしかったなぁ。自分まで、新しい時代をつかんだような気になりました。もっと、もっと、三沢さんが前進していく後姿をずっと見ていたかった。本当に、お疲れ様でした。そして、ありがとう。(30代男性)

 ◆どんな時も妥協しない、熱い試合で勇気と希望をくれた三沢さん。今でも信じられないし、信じたくありません。自分は三沢さんが本当に大好きでした。三沢さんの雄姿、絶対に忘れません。どうか、安らかに…。(30代男性)

 ◆今でも信じられない数々の激闘でのあなたの勇姿は一生忘れませんご冥福をお祈りいたします。(30代男性)

 ◆相手の技をすべて受けきる技量、度胸、ほんとうに三沢光晴の試合が好きでした。生きていれば苦しいとき、辛いときがありますが、三沢選手が相手の技を受けきる姿を見て、自分もこの辛さを受け切ろうと勇気づけられた。でも正直とっても今ショックだ。受け止めるのに時間がかかる。(20代男性)

 ◆三沢さんへあなたに勇気・希望・元気をたくさん貰っていた事にあらためて気付き、深く感謝します。あなたはいつまでも我々の心の中で生きています。謹んでお悔やみ申し上げます。兵庫県在住のファンより。(30代男性)

 ◆本当に偉大な選手でした。本当に偉大な人間でした。がんばる姿勢ボロボロになっても弱音を吐かず、やることをちゃんとやる人間でした。三沢光晴の試合を見れて、三沢光晴という人間を知れて、本当によかったと思いますありがとうございました本当にお疲れ様でした(30代男性)

 ◆プロレスに興味がない友人たちもノアの武道館に連れて行くと必ずプロレスファンにすることができました。三沢さんのファンであったことをこれからも誇りに生きていきます。ありがとうございました!(30代男性)

 ◆すべての選手に伝えたい事ですが、今回の事故を教訓に、体調不良の時は、勇気を持って欠場すると言う選択肢を常に持って欲しい。会場では欠場する選手の生の戦いを観れずに残念がるかもしれないけれど、その選手のには、サイン会や握手会、撮影会等に切り替えて、ファンとの触れあいで勘弁してもらい、それよりも一日も長い選手生活を選択して貰いたい。きっと、天国の三沢選手もそう思ってくれる事でしょう!天国の三沢選手、本当にご苦労様でした。そして、残念無念の一言です。貴方にも(早期に欠場を選択する)勇気を持って戴きたかった…。合掌。(40代男性)

 ◆たとえどんなに疲れていようとも、どんなに苦しくとも、そしてその先に更なる痛みが待っていようとも、「立ち上がる」勇気をあなたは教えてくれました。あれ程までのプロレスを見せてくれてありがとう。ただただありがとう。三沢がマットからいなくなることで少なからず俺の人生は寂しくなるなぁ。(20代男性)

 ◆誰の死より衝撃で…。今ごろ分かった、こんなに好きだったなんて。(30代男性)

 ◆とにかく残念の一言。(40代男性)

 ◆三沢光晴は私の高校時代のスーパースターでした。鶴田、ハンセンにボコボコにヤられても、何度も、何度も立ち上がり戦う姿にいつも勇気をもらっていました。今まで感動をありがとうございました。ゆっくり休んでください。そしてノアを見守ってあげてください。貴方は私のヒーローでした。(30代男性)

 ◆勇気をありがとう。(40代男性)

 ◆まだまだ、やりたいことがまだあったとおもいます。ゆっくり休んでください。(30代男性)

 ◆三沢さんがプロレスで見せてくれてたこと忘れません。大好きです。(40代女性)

 ◆やっぱり三沢光晴です。プロレスは、札幌に来た時に見に行ったよ。あと小橋さんとすすきの、歩いているの見たら目が合ってビビったよ。安らかにノアを見守って下さいね~。(40代男性)

 ◆亡くなって初めて、こんなにも好きだったんだとわかりました。天国でこれからもプロレスを見守って下さい。(30代男性)

 ◆男が憧れる【男】早すぎる…。だけど三沢光晴さんを自身のお手本としていつまでも忘れない。(30代男性)

 ◆三沢いままで感動をありがとう。(30代男性)

 ◆三沢さんプロレスの楽しさを教えてくれてありがとうございます。三沢さんが残したプロレスをファンや選手が引き継ぐので天国で見守って下さい。三沢さんありがとう、そしてさよなら。(30代男性)

 ◆三沢選手が亡くなったなんて…。訃報を知り大変驚いております。未だに信じられない気持ちです。TVでしか拝見したことがありませんが、プロレスに対してはとても熱心に取り組んでいるんだと言うのがひしひしと伝わって来ました。もう三沢選手のファイトが見られないと思うと非常に残念でなりません。三沢選手、長い間私達に夢と感動をありがとうございました。ゆっくり体を休めて下さい。心よりご冥福をお祈りいたします。(30代女性)

 ◆プロレスラーの誇りと経営者としての狭間、苦悩の中で最後までプライドと意地を貫いて散った男の生きざま。不世出の天才レスラー三沢光晴…。二度と彼に勝るレスラーは現れないで在ろう。…合掌…。(60代以上男性)

 ◆三沢選手がなっくなったのは残念です。安らかに眠って下さい。(40代男性)

 ◆がんばったし味ある笑顔ありがとう。(30代男性)

 ◆三沢さんの訃報はほかのどんな方の悲しい悲報より私は衝撃受け、多分これ以上はないでしょう。私が当時中学生の多感な時期に超世代のリーダーとして、鶴田さん・ハンセンさんに挑む姿に感銘を受けプロレスに誘ってくれたのは三沢さんでした。その後の四天王時代の九十年代の圧倒的な強さが自分のことのようにうれしく、まさに三沢光晴こそがマイヒーローでした。猪木、馬場、藤波、長州ではなく私のプロレスラーは三沢さんでした。自分の人生に大きな影響を与えてもらい心からの感謝です。今はただゆっくりおやすみください。ありがとうございました。(30代男性)

 ◆三沢光晴というプロレス界の財産が急逝してしまいとても残念です。しかし、これまで最高のプロレスを披露して頂き有り難うございます。ジャンボ越えや四天王と呼ばれた盟友川田、小橋、田上との激闘忘れません。他団体との交流で同世代の闘魂三銃士との闘いも最高でした。近年はノアで育てた若手が華々しく活躍しており、三沢選手の背中を追って成長したと確信しております。これからは天国よりプロレス界を見守って下さい。大変ご苦労様でした。(30代男性)

 ◆同い年でいつも励みになる存在でした。若いときは上司にプロレスラーにこんな人がいるんです、と力説していたのを思い出します。逃げない男三沢を追い掛けていた自分に気がつきました。ありがとう。(40代男性)

 ◆三沢よ、リングだけではなく、社会的にも偉大な人間であった。全日の馬場、鶴田時代からプロレスを見続けて、ノアに移行しても、三沢と同じ年、同じ月に生まれたワシにとって、共に闘う友だった。馬場イズム、鶴田イズム、それらは完成された三沢イズムとして全世界に浸透していっている。すなわち、人としての優しさや温かさ、懐の深さ、武士道、等々の人間的な基本な魂だ。ワシも馬場時代からきちんと継承しているし、これからも三沢と魂は一緒だ。(40代男性)

 ◆三沢さん。ありがとう。忘れないよ…。(50代男性)

 ◆彰俊!!

 頑張れ!!

 下を向いてても、三沢社長は喜ばないぞ。しっかりと上を向いて戦ってくれ。(30代男性)

 ◆数々の選手を光り輝かせた三沢光晴選手。つらいけどサヨナラです…。(30代男性)

 ◆長い間私達楽しくしてくれたことを心よりかんさしています。MisawaSanもいないこととっても信じられません。いつまでもあなたをおえのしてます。ハリス(40代男性)

 ◆三沢選手がなくなった事が未だ受け入れられません。三沢さんを見てプロレスのファンになり、それからはずっとあなたの試合に夢中でした。毎日の生活の中で、三沢さんをTV・雑誌・会場で応援し、あなたの活躍に一喜一憂させてもらいました。なんか心の中の大事なものが消えちゃったように感じます。もっとあなたが見たかった。もっと三沢選手のこれからを見たかったです。本当に素晴らしい試合を今まで有難うございました、ご冥福をお祈り致します。(男性30代)

 ◆あなたの死から6日経ちましたが、未だにあなたの死が信じられません。私にとってあなたは青春時代の大ヒーローでした。あなたの死は一国の宰相の死より重い…。ご冥福をお祈りします。(男性20代)

 ◆今、改めて三沢光晴の偉大さを実感しました。あなたのことを忘れない。絶対に!ゆっくり休んでください。あなたの意思は必ず引き継がれていきます。(男性30代)

 ◆力道山、木村、馬場、猪木、鶴田、藤波、長州、橋本、武藤、蝶野、そして三沢!

 各時代を支えたレスラーはたくさんいたけど、プロレス不遇の時代によくここまでひっぱて来たと思います。ノア!

 とてもすばらしい名前です。この名前に三沢社長の思いがハッキリと理解できます。あとに残った選手は社長の意思をしっかりとついで欲しいです。それが最高の供養になると思います。同じ経営者という立場で私はとてもリスペクトさせていただいてました。もう、肩の荷を下ろしてゆっくりして下さい。(男性40代)

 ◆高校の頃、しばらくプロレス観戦から離れていた自分を再びプロレスファンに戻してくれた選手が三沢選手でした。まだ死を事実として受け止めるには時間が足りませんが、一言お疲れ様でしたと言わせて頂きます。(男性30代)