<プロボクシング:村田諒太プロデビュー戦>◇25日◇東京・有明コロシアム◇4500人

 金の拳、鮮烈プロデビュー!!

 ロンドン五輪男子ミドル級金メダルの村田諒太(27=三迫)がプロ初陣で現役王者を圧倒した。東洋太平洋同級王者の柴田明雄(31=ワタナベ)とノンタイトル6回戦で激突。破壊力ある右拳をねじ込み、1回にダウンを奪取。2回2分24秒、レフェリーストップによるTKO勝利を飾った。実力差をみせつけ、亡き恩師の誕生日にスーパースターへの第1歩を踏みだした。

 リングで笑った。1回。柴田の右をもらった村田は「心理戦。効いていないという意味で笑った。余裕がありました」。1年前、ロンドン五輪でみせた前に出るプレッシャーで王者をロープ際に追い込んだ。自らの距離感をつかんだワンツー、容赦のない連打。右拳をヒットさせ、ダウンを奪った。2回、コーナーに追い詰めると再び連打を浴びせた。最後はボコボコにする一方的な展開。大ダメージでぼうぜんと立ちつくす柴田を確認したレフェリーが、あわてて試合を止めた。

 プロ初戦とは思えない余裕と風格が漂った。「デビュー戦で東洋太平洋王者に2回で勝って、80点ぐらいもらってもいいですよね」とちゃめっ気たっぷりに笑った。1週間前からホテルに滞在し、妻子と離れた。1人になって考える時間が増え、不安が襲った。プロで初の減量による空腹感で眠りも浅かったが、計量が終わった試合前夜は「ぐっすり眠れた」。三迫ジムと村田育成で協力関係にある帝拳ジムの本田明彦会長は「ラスベガス合宿の成果を全部出した。200点だよ」と本番の強さを絶賛した。

 5日前まで悩んでいた。計3度のラスベガス合宿で、米ボクシング関係者から技術を伝授。吸収力のある村田は次々と習得したが、逆に持ち味が消えた。試合前の最後と設定したスパーリングは「足が動かなかった」と不本意な内容。翌日にスパーリングを志願し、この日と同様の右ストレートで練習相手を圧倒し吹っ切れた。持ち味を発揮しての勝利に「長い距離からのパンチは相手に効くと思った」と冷静に手応えを口にした。

 2月18日、鹿児島の沖永良部(おきのえらぶ)島にいた。10年に他界した南京都ボクシング部顧問の武元前川さんの故郷。墓前で自然と心の中で言った。「今後はプロでやります」。亡き恩師への報告でプロ転向の気持ちが固まった。8月25日は、武元さんの誕生日。「こんな偶然はない。勝つと思った。リング上で武元先生は相手に敬意を表せとガッツポーズをすると怒られた。なので今日は…」と、あえて派手に喜ばなかった。

 試合後、契約を結ぶ米ボクシング界の大物プロモーター、アラム氏に「ボクは世界王者になりたい。あなたとともに歩みたい」と訴えた。世界で一番層が厚いと言われるミドル級。「将来的に(世界で)勝てないと思ってない。自分の可能性を自分で感じてます」。金の拳は、スーパースターになる片りんをみせつけた。

 ◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年でボクシングを始める。南京都高で高校5冠。東洋大では04年の全日本選手権ミドル級で初優勝。08年に1度は引退するが、09年春に復帰。全日本選手権などを含めると国内13冠。11年の世界選手権では日本人過去最高の銀メダルを奪取。12年ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルを獲得。今年1月にプロ転向を決断し、同4月にはA級(8回戦以上)のプロテストに合格。右ボクサーファイター。家族は佳子夫人(31)と長男晴道くん(2)。182センチ、77キロ(通常時)。