<新日本:G1クライマックス24>◇10日◇埼玉・西武ドーム

 「レインメーカー」オカダ・カズチカ(26)が、史上最大規模のG1を制し、新たな歴史をつくった。壮絶な死闘の末、新日本の看板を背負う中邑真輔(34)をシングル対決で初めて破り、12年に次いで2度目の優勝。賞金1000万円も手にした。試合後、15年1月4日の東京ドーム大会で、A・J・スタイルズが持つIWGPヘビー級王座挑戦を宣言した。

 意識が飛んでいた。中邑のボマイェを顔面に浴び、さらにパンチをアゴに食らっていた。フラフラになりながら、中邑の腕をたぐり寄せ、無我夢中でショートレンジ・ラリアット2連発。さらに、レインメーカーでとどめを刺した。

 史上最大のG1で、最後の最後にリングに立っていたのは、26歳のオカダだった。新日本で活動を始めてからわずか2年。棚橋からIWGP王座を奪い、2度目のG1制覇は、これまで勝ったことのない中邑を撃破。団体を背負ってきた2大エースを完全に超え、新たな歴史を切り開いた。

 リングの中央でオカダの1人舞台が始まった。15年1月4日、東京ドーム大会で王者スタイルズへの挑戦を宣言。さらに「3つ言わせてください。1つ、G1優勝したから次はAJ(IWGP王者)だ。覚悟しとけ!

 2つ、中邑さん、まだ、あなたには1回しか勝っていません。まだまだ、やりましょう。ありがとうございます。3つ、特に…、あるぞ。オレが新日本の中心にいる限り、新日本、いやプロレス界に金の雨が降る」と言い放った。

 2年前、米国修行から帰ってから、新日本を背負うことを期待されてきた。凱旋(がいせん)大会の東京ドームでは、いきなり棚橋のIWGP王座挑戦を宣言し、ファンから大ブーイングを浴びた。しかし、マネジャーの外道はオカダの潜在能力を見抜いていた。「あの身長(191センチ)で並のレスラーと違う身体能力がある。間違いなく、日本のプロレス界をあいつが引っ張っていく。サッカーや野球並みにしてくれる」と期待する。

 中学卒業後、闘龍門入りし、そのままメキシコで修行したが目標を見失った。日本に戻り、新日本に入ってから目標が明確になった。「新日本のトップになって、オカダの名前を有名にして、海外の大きな会場に新日本を連れていきたい」。中2時代、5教科合計150点の落ちこぼれだったが、両親に「20番以内に入ったらプロレスDVDを買ってやる」と言われ、猛勉強して17番になったことがある。目標を持つと自分が強くなれることをオカダは経験から知っている。

 棚橋、中邑の両エースにオカダが加わり、新日本もかつての勢いを取り戻しつつある。西武ドーム進出はその証しだ。「歴史に残った1日になったけど、まだ(かつて開催した)大阪や名古屋などドーム会場が残っている。そういうところにボクが戻していきたい」。全盛期の新日本に戻すという使命も、オカダはしっかり自覚している。【桝田朗】

 ◆オカダ・カズチカ

 1987年(昭62)11月8日、愛知県安城市生まれ。安祥中卒後、闘龍門に入門し、16歳の04年8月29日にメキシコでのナバーロ戦でデビュー。07年に新日本入団。米国修行から帰国後の12年2月に棚橋を破りIWGPヘビー級王座を奪取。さらに8月に史上最年少でG1制覇を達成。13年4月に2度目のIWGPヘビー級王座に就き8回防衛。191センチ、107キロ。

 ◆レインメーカー

 オカダのニックネームがつけられた決め技。ジャーマン・スープレックスのように背後に入り、相手の右腕を引っ張り込むことで、ひもでコマを回す要領で反転させ、自分と正対した瞬間にショートレンジのラリアットを決める。相手を回転させた勢いが加わることで、単なるショートレンジ・ラリアットより威力が大幅に増す。