桂歌丸(79)が日本テレビ系「笑点」(日曜午後5時半)の大喜利司会を勇退することが4月30日、分かった。この日都内で行われた「笑点50周年記念スペシャル」(15日午後5時)公開収録で、今月22日の生放送が最後となることを発表した。「体力の限界」と説明。終身名誉司会として番組との関係は続くが、1966年、番組開始時からの「顔」が去る。後任は未定。

 突然の勇退発表だった。仲間由紀恵(36)をゲストに迎えた「50周年記念スペシャル」大喜利の最後に歌丸が、5月22日は生放送であることを報告した上で切り出した。

 「来週(22日)の放送を最後に、大喜利の司会をやめさせていただきたいと思っております。若い方々に譲らなければ長く続きません。最後の大喜利、生放送を一生懸命務めさせていただきます」と宣言。会場からどよめきが起こり、仲間も驚きの表情を浮かべた。

 直後の会見で、勇退理由を「体力の限界です。歩くのが大変に苦しい。歩くと、肺気腫を患っているので息切れがしてしまう。これ以上続けますと、今までだって、ずいぶんスタッフさんにご迷惑をお掛けしていますが、これ以上の迷惑をかける」と説明した。

 66年5月15日に始まった「笑点」の第1回から出演。06年から5代目三遊亭円楽さんに代わって5代目司会者を務めた。しかし、近年は肺気腫、腰部脊柱管狭窄(きょうさく)、腸閉塞(へいそく)などで入院し、休演も続いた。そのため、昨年秋に日本テレビ側に勇退を申し入れ、今年1月に林家木久扇、三遊亭円楽ら大喜利メンバーに打ち明けた。歌丸は「発表までは内緒に」と懇願し、メンバーも約束を守った。

 現在の心境について「正直言いまして、寂しいですよ。50年間、しゃかりきになってやってきた番組。いろいろなことがありましたが、全部が一番の思い出。『笑点』で名前と顔を全国的に売り出した。でも、踏ん切りをつけなければ席を譲ることはできない」。

 終身名誉司会として番組との関係は続き、直前に放送される5分番組「もう笑点」(日曜午後5時25分)に今後も出演する。「落語をやめるわけじゃない。今年は落語家になって65年で、80歳になる。80歳になったら少し楽をして落語の勉強をしたいと思っていた。覚えたい噺(はなし)もあるし、落語では(大喜利メンバーに)負けません」と変わらぬ意欲を語った。【林尚之、小林千穂】

<桂歌丸アラカルト>

 ◆生まれ 1936年(昭11)8月14日、横浜生まれ。

 ◆入門 52年に5代目古今亭今輔に入門するも、一時、落語界を離れ61年に桂米丸門下で復帰。

 ◆真打ち 二つ目で「笑点」レギュラーとなり、68年に真打ち昇進。

 ◆会長 04年に落語芸術協会会長に就任。横浜にぎわい座館長も務める。

 ◆病気続き 08年に腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症手術のため「笑点」休演。10年に肺炎、14年に閉塞(へいそく)性肺疾患と肋骨(ろっこつ)骨折、15年にはインフルエンザと腸閉塞で休演。

 ◆家族 57年に妻冨士子さんと結婚。

<笑点アラカルト>

 ◆誕生 前身は深夜放送の「金曜寄席」。演芸、対談、大喜利の3部構成。66年開始時大喜利メンバーは5代目三遊亭円楽さん、桂歌丸、林家こん平、柳亭小痴楽さん(後の春風亭梅橋)、三遊亭金遊さん(後の三遊亭小円遊)。

 ◆テーマソング 69年11月9日、現在もオープニングで流れる曲が初披露。中村八大さん作曲。

 ◆大喜利 現在の顔触れのもとになったのは88年。歌丸、林家こん平、林家木久蔵(現木久扇)、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、三遊亭楽太郎(現円楽)。06年、こん平の代役をしていた林家たい平が正式メンバーになり春風亭昇太が加入。

 ◆派生 若手主体、アナウンサー対抗大喜利などがあった。初期の「ちびっこ大喜利」では、74年に座布団10枚獲得した山田隆夫がレコードデビュー権を獲得、江藤博利らと「ずうとるび」でデビュー。

 ◆視聴率 歴代最高は73年10月21日の40・5%(ニールセン調べ)。