<92年4月27日付紙面から>

 26歳の若さで25日午後、急死したロック歌手尾崎豊さん(本名同じ)の司法解剖が26日、東京・湯島の東京医科歯科大で行われ、死因は肺に水がたまり呼吸困難を起こす肺水腫(しゅ)と分かった。急死した日の早朝、泥酔し他人の家の軒先で全裸になり、体にかすり傷などがあったため変死扱いとなり、検視・解剖となったが、突発性の病死だった。通夜は近親者だけで行い、葬儀に代わる追悼式が30日正午から文京区大塚の護国寺桂昌殿で無宗教献花方式で行われる。喪主は妻繁美(しげみ)さん。

 尾崎さんの遺体は死因解明のため26日未明、東京・足立区の千住署から東京医科歯科大に運ばれた。

 当初、事件性のない行政解剖の予定だったが、尾崎さんの全身にすり傷があり、右目の上にコブもあることから、千住署、警視庁、検察庁が前日夜に協議し、「けんかなどに巻き込まれた可能性もある」と司法解剖に切り替えた。

 午前10時から東京監察医務院の医師らによって検視、その後解剖が行われ、死因は肺に水がたまる「肺水腫」と判明した。「肺水腫」は酸素欠乏、刺激性ガスの吸引など、さまざまな原因で起こり、突発性が高い。

 尾崎さんは24日夜、六本木で青山学院高等部時代の友人らが開いたパーティーに出席。25日早朝に足立区千住曙町の自宅マンション近くの民家の軒先で全裸で保護された時は泥酔状態だった。同日正午過ぎに千駄木の日本医大病院で死亡した際の検査では、血中のアルコール濃度が異常に高かったとされており、過度の飲酒が肺水腫を誘発したのでは、とみられている。

 尾崎さんは1987年(昭62)12月に覚せい剤取締法違反で逮捕された前歴(懲役1年6月、執行猶予3年)をもっており、「急死には薬が影響していたのでは」とも推測されたが、千住署では「薬は関係ない。なぜ肺水腫を起こしたかの原因は調べるが、死因がはっきりした以上、事件性はなく、これ以上の捜査はしない」としている。

 解剖を終えた遺体は午後4時過ぎ、同病院の霊安室出入り口からワゴン車に乗せられた。追いすがる報道陣の車を振り払うように千住の自宅から50メートル離れた妻繁美さん(23)の実家マンションに向かい、同4時41分到着。繁美さん、ひと粒種の長男(3)、尾崎さんの父健一さんらが無言の帰宅を出迎え、遺体は16階の集会所に安置された。

 通夜は近親者だけで行い、葬儀に代わる追悼式は30日正午から文京区大塚の護国寺桂昌殿で、反骨精神を持って生き抜いた尾崎さんらしく、無宗教献花方式で行われる。

 呼吸器学が専門の戸栗栄三聖マリアンナ医科大名誉教授の話

 肺水腫はさまざまな原因で起こり、年齢に関係なく突発性が強く死に至るケースも多い。尾崎さんは、お酒を大量に飲んでいたということだが、アルコールで血液成分が変わり、血管の透過度に変化が起こると、血液の水分が肺胞内ににじみ出てくる。また、推測だが、吐いたものが逆流し肺にたまると、嘔吐(おうと)物は酸性度が強く、肺胞の毛細血管を壊し、血しょうが肺に出てくる。そうなると呼吸困難になり、たんが激しくなるなどの自覚症状がある。適切な処置をすれば、大事に至らなかっただろうが、泥酔していたから、勘違いしてしまったのではないか。◆黄色いユリ

 26日早朝から、足立区千住曙町の尾崎さんの自宅マンションには、悲報を聞いたファンが続々と詰めかけ、一時は500人に上った。武蔵野市から来た女子高生4人組は、お金を出し合い黄色いユリの花を買った。「うそだと……、冗談と思ったのに……。昨晩は悲しくて眠れなかった」と、30分間も泣き続けた。◆ロープ規制も

 午後4時41分ごろ、尾崎さんの遺体を乗せたメタリックブルーのワゴン車が、自宅から50メートル離れた繁美さんの実家マンションの駐車場に滑り込んだ。興奮したファンが、マンションの敷地内に殺到、警察官がロープ規制を行って必死に押しとどめるひと幕もあった。

 遺体を乗せたワゴン車がマンションを出る時には、ファンが「尾崎っ」の絶叫とともに、泣きながら車の窓をたたき続けた。◆音楽聴いて

 いつまでも立ち去らないファンに、午後5時30分ごろ尾崎さんの事務所関係者がハンドマイクを握って説得。「尾崎は人に迷惑を掛けるのが嫌いだった。きょうは家に帰って、尾崎の音楽を聴きながら、尾崎のことを思い出してほしい」と話すと、すすり泣きが広がった。さらに「尾崎はこの2カ月、レコーディングで寝る暇もなく歌い続けた。30日に追悼式も行います。やっと眠れたのだから、帰ってください」と土下座して訴えると、集まったファンは少しずつ帰路についた。また知人の俳優吉岡秀隆も弔問に訪れた。