筑紫さんが育て上げたTBS系報道番組「筑紫哲也ニュース23」は89年10月にスタートした。今年3月に「筑紫哲也」の冠を外したが、名物コラム「多事争論」では、筑紫哲也さんのぼくとつとした語り口とジャーナリスティックな批判精神で茶の間の信頼と人気を集めた。この日の番組冒頭、20年目で最も悲しいニュースを伝えた。

 「NEWS23」は番組冒頭の18分でテレビジャーナリズム先駆者の死を伝えた。「前にそびえ立っている頂は今も高くそびえ立っている。スタッフ一同、その遺志を継いで報道の最前線で闘っていきたい」。メーンキャスターのバトンを受けた後藤謙次氏(59)は、厳しい表情で決意を語った。同じように毎日新聞記者からテレビキャスターに転じた鳥越俊太郎氏(68)もゲスト出演し「座標軸になる人、羅針盤のような人だった」としのんだ。

 筑紫さんの代名詞にもなったのが「ニュース23」内のコラム「多事争論」だった。1人でカメラの前に立ち、まっすぐにお茶の間の視聴者を見つめ、政治・経済・社会・文化の多事をしっかりとした語り口で論じた。そこに通っていたのは、ジャーナリズム精神だった。「TBSは死んだに等しい」。95年、オウム真理教幹部に放送前の映像を見せた問題では、ジャーナリストのあるべき姿を出演する自局に問い掛けた。

 休養後も、節目には番組に出演。07年7月の参院選特番では声で生出演し、選挙に惨敗しながらも続投を表明する安倍晋三総理(当時)に鋭く切り込んだ。同10月には番組に復帰し、「約束どおり戻ってきました」と笑顔を見せたが、今年3月には引退。番組から「筑紫哲也」が外れても、今年4月には李明博韓国大統領を迎えてのタウンミーティングに中継で出演した。李大統領はこの日、筑紫さんの遺族とTBSに弔意を伝えた。

 「NEWS23」の「23」は開始時間だけでなく、野球のフルカウント「ツーストライク

 スリーボール」の意味もあるという。「もう後がないのがツースリー。報道のTBSの巻き返しに頑張ろう」と筑紫さんが自ら、スタッフを鼓舞してきた。番組での最後の「多事争論」は3月28日。少数派を切り捨てることが戦争につながる-。一貫した主張だった。