「北国の春」「高校三年生」など5000曲以上を手掛けた作曲家の遠藤実(えんどう・みのる)さんが6日午前10時54分、急性心筋梗塞(こうそく)のため、入院先の都内の病院で死去した。76歳。「歌は心」を信条にして、だれでも口ずさめる歌作りに心血を注ぎ、戦後の歌謡界を彩った。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長女由美子(ゆみこ)さん。

 長女の由美子さんによると、体調を崩した遠藤さんが入院したのは約1カ月前。約20年前にハワイで実施した心臓のバイパス手術を再び行った直後だった。「手術は成功して、会話も普通にできて運動もでき、仕事復帰に向けていたのですが…。突然のことで家族みんなで驚いてショックです」と言葉を詰まらせた。親族や近親者に見守られながら安らかに逝ったという。

 17歳で内弟子となった千昌夫(61)は臨終に立ち会った病院で肩を落としていた。危篤となった前夜も駆け付けており「バイパス再手術の後に体調が思わしくなく、今の病院へ移りました。苦しまず安らかなお顔でした」と静かに話した。

 時には遠藤さんの愛情のげんこつで歌心を教えられた。66年に「星影のワルツ」で人気者になり、77年の「北国の春」はアジアのスタンダードナンバーになった。「素晴らしい曲をたくさんいただきました」と静かに話した。

 遠藤さんは49年、貧しさから逃げ出し、歌手になりたい一心で疎開先の新潟を家出同然に飛び出した。繁華街でギターを弾きながら3曲100円で歌う「流し」から音楽の道を志した。57年に藤島恒夫の「お月さん今晩わ」のヒットで売れっ子になった。当時、すでに偉大な作曲家だった古賀政男さんの哀愁のある旋律に対し、遠藤さんは誰にも口ずさめる歌作りを目指した。時には山本リンダ「こまっちゃうナ」など快活なメロディーで、流行歌のすそ野を広げた。日本レコード大賞など最高峰の賞には無縁だったが、戦後歌謡界を代表する顔だった。

 この日午後、遠藤さんの遺体は東京・杉並区の自宅に戻った。夜になり北島三郎、小林旭、五木ひろし、五月みどり、小林幸子ら多くの歌手が弔問に訪れた。「高校三年生」で大ブームを巻き起こした舟木一夫は「先生への恩返しは、作っていただいた曲を今まで以上に大事に歌っていく以外にはない」と涙をこぼした。「せんせい」で鮮烈なデビューを果たした森昌子は「つい先日お会いした時に『昌子頑張れよ』と声をかけていただいたばかりなのに…。先生は恩師であり父のような存在。悲しくて、言葉がありません」と絶句した。

 05年から会長の日本作曲家協会は、偉大な功労者に協会葬を予定している。