<第60回NHK紅白歌合戦を語る(5)=坂本冬美>

 小5の時に、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を聞いて歌手を志した坂本冬美(42)。21回目の出演を誇る“若き女王”が決して忘れられないのが初出場(88年)だ。デビュー2年目。恩師の故猪俣公章氏から「絶対に泣くな。泣いたら歌にならなくなるから」と厳命された。

 「先生の言葉を守って、ひたすら『泣いちゃいけない、泣いちゃいけない』と何度も心でつぶやいていました。緊張でがんじがらめの私の背中をポンと押して『行ってらっしゃい』と、優しく言ってくれたのが石川さゆりさんです」。

 何とか最後まで歌いきり、安心して緊張の糸が切れるとワンワン号泣しながらステージの袖に戻った。「まるで子どものような大泣きでした」(坂本)。エンディングで「蛍の光」を合唱する際、坂本の隣にいたのが石川だ。ギュッと後輩の手を握りしめてくれた。「良く頑張ったね」。手のぬくもりがそう語っているように思えた。後から知ったが、「泣くな」と厳命した猪俣氏は、教えを必死に守る愛弟子の姿を自宅のテレビで見ながら大粒の涙を流していた。

 初出場以来、紅白に出なかったのは約1年の休養をした02年のみ。それまでに虫垂炎、膵炎(すいえん)と病が続いて、さらに父を亡くした。精神的に落ち込んでいる時に、歌にも迷いが生じた。そして決断。もう歌をやめる、と。「01年の紅白は、最後の晴れ舞台になると思っていました。『凛として』を歌いながら、この光景をしっかり目に焼き付けておこうと、ホール全体を見渡しながら歌った覚えがあります。振り返れば、これまでで一番冷静なステージでしたね」。

 02年の大みそかは、久しぶりにテレビで紅白を見た。「出演していた時は緊張でガチガチなのに、皆さんがすごく楽しそうに見えた。そこで気付いたんです。紅白ってお祭りなんだから楽しく歌わないとだめだって。テレビを見ている自分も楽しい気分。どんな曲や衣装なのかを楽しみに見ていた子ども時代に戻っていました」。

 再び歌う気持ちと自信を取り戻し、心身ともに生まれ変わったつもりで復帰した03年の紅白。「でも気持ちは元に戻ってしまって、わずか2、3分のステージを楽しめずに緊張しっぱなしでしたね(笑い)」。今年の大みそかは緊張をエネルギーに変えることができるのだろうか。【松本久】

 ◆坂本冬美(さかもと・ふゆみ)本名同じ。1967年(昭42)3月30日、和歌山県生まれ。中高時代はソフトボール部のキャプテンとして活躍。86年に猪俣公章氏の内弟子になり、翌年に「あばれ太鼓」で歌手デビューして日本レコード大賞新人賞に輝いた。今年の日本レコード大賞優秀作品賞に「また君に恋してる」が選ばれたばかり。代表曲に「夜桜お七」「あばれ太鼓」など。血液型O。

 [2009年12月23日0時13分

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