映画「太陽の季節」などで知られる俳優長門裕之(ながと・ひろゆき)さん(本名・加藤晃夫=かとう・あきお)が21日午後5時20分、都内病院で亡くなった。77歳だった。弟で俳優津川雅彦によると肺炎から合併症を起こしたという。長門さんは芸能一家に生まれ、子供のころから数々の映画やドラマ、舞台に出演、高い演技力で存在感を見せてきた。09年10月に亡くなった妻で元女優南田洋子さんとはおしどり夫婦として知られていた。

 南田さんを見送って1年半後、長門さんも旅立った。午後9時すぎに都内自宅に無言の帰宅をした長門さんを、津川、朝丘雪路夫妻が出迎えた。自宅には浅丘ルリ子、川中美幸らが弔問に訪れた。

 津川は午後11時すぎに報道陣に対応。津川はこの日昼すぎ、長門さんに付き添っていた関係者から、意識がなくなったと連絡を受けた。3日前に見舞った時「次の映画に出てもらうよ」と声を掛けると、長門さんは「よし」と答えたという。これが兄弟最後の会話になった。津川は目に涙を浮かべ「急だったなあ。目の上のたんこぶのように思ったこともあったけど、最近は一番仲が良かった」などと話した。

 長門さんは95年に解離性大動脈瘤(りゅう)を患い、昨年8月、バイパス手術を受けた。11月には「全快を祝う会」で元気な姿を見せた。今年1月には名古屋・御園座で、川中が座長を務める公演に1カ月出演。しかし、09年10月に南田さんがくも膜下出血で亡くなってからは気持ちも沈みがちだった。2月には脳出血で入院したとの報道があったが、前日まで病院でリハビリに努めていたという。

 南田さんとは、56年の主演映画「太陽の季節」で知り合った。長門さんが熱烈にアタックし、61年に結婚。2人でフジテレビ系「ミュージックフェア」の司会を16年務め、ドラマでも共演し、おしどり夫婦で有名だった。長門さんが、数々の女優と流した浮名を本にしたこともあったが「洋子の心のドアをノックしたかったから」と話すなど、気持ちは常に南田さんに向いていた。

 05年に南田さんに認知症の症状が見え始め、長門さんは自宅で介護を始めた。その様子がテレビ番組で紹介され反響を呼んだ。09年、介護の様子をつづった本を出版。共通の趣味のマージャン部屋もあった一戸建ては売却し、介護しやすいバリアフリーのマンションに住み替えた。

 長門さんは、南田さんが亡くなってからも、愛情を語り続けた。葬儀では「洋子がいなくなり、どうやって足を踏み出していいか永久に分からない」と泣き、「南田さんをしのぶ会」では「もう1度会いたい。大好きで愛してます」と語った。妻に会いたいと願う気持ちが、長門さんを旅立たせてしまったのか。

 長門さんは同い年の著名人で結成した「昭和9年会」メンバーで、今年3月に亡くなった坂上二郎さんに次ぐ訃報となった。

 ◆長門裕之(ながと・ひろゆき、本名・加藤晃夫)1934年(昭9)1月10日、俳優の父沢村国太郎と女優マキノ智子の長男として京都市に生まれる。6歳で映画「続清水港」で子役デビューし、その後も「無法松の一生」などに出演。日活に入社し、55年の映画「七つボタン」で俳優デビュー。翌56年の映画「太陽の季節」で出会った女優南田洋子と61年に結婚。「にあんちゃん」で59年度ブルーリボン主演男優賞、ホワイトブロンズ男優賞、「古都」で63年度毎日映画コンクール助演男優賞など受賞多数。