“ガラスの天才少女”から得た経験とは-。歴史的一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」。今回はショウナンアデラが差し切った14年の阪神JFを取り上げる。大出遅れからゴール前での豪脚を引き出した一部始終、幾度の故障に泣いたその後を、騎手時代に全7戦の手綱を取った蛯名正義調教師(54)が振り返る。

14年、大外から差し切り阪神JFを制するショウナンアデラ
14年、大外から差し切り阪神JFを制するショウナンアデラ

発馬直後、スタンドがざわめいた。16番枠の5番人気ショウナンアデラと最内の1番人気ロカがそろって出遅れた。異様な空気が流れる。ただ、その時のショウナンアデラの鞍上だった蛯名正師には「ある意味作戦だったね」と好都合だった。

「枠が外だったから、できるだけ中に入ってじわっと競馬がしたかった。出したからって勝つわけじゃない。どうやったら勝つかだけだから」

馬なりで馬群の中に、すっと取り付き中団へ。4角までに若干位置を下げたが手応えは抜群。直線も馬群を縫うように伸びる。先に抜け出すレッツゴードンキの後を追うと、残り200メートルを切ったところで外へ。残り50メートル、瞬間移動のように切れた。

「思ったよりは詰まった。直線は横に横にと、カニ歩きみたいになった。でもレベルが違ったなと。来年の桜花賞は勝てると思ったね」

願いはかなわなかった。デビュー前から脚元が弱く、調教は坂路主体。初勝利は馬なり、2勝目も余力残し。中2週での3連勝だった。

「歩様は心配なかったけどね。でもG1まで使えたのは、奇跡だったのかもしれないね」

桜花賞直行を控えた3歳3月に右前脚の第3中手骨を骨折し、温泉治療をへて復帰間近の10月に左前脚管骨の骨折が判明。復帰は阪神JFから1年5カ月後、4歳5月のヴィクトリアM(16着)。その後も左前脚靱帯(じんたい)の手術など故障が相次ぎ、5歳4月にわずか7戦で現役を退いた。

「前のフォームが変わって、いろいろやったけど戻らなかった。無事ならもっとG1を勝てた能力はあったと思う。すごくいい馬だったよ」

当時と立場が変わった。それでも、思考回路は変わらない。

「クラシックに向けて余裕がある馬は2歳G1に使えるし、無理に使うと後でこたえることもある。バランスを取りながらやりたいとジョッキーの時も調教師になってからも変わらないね」

騎手引退後は藤沢和雄元調教師の下で修業を積み、昨年3月に開業。今年5月の京王杯SCで、同元師から引き続いたレッドモンレーヴで重賞初制覇を果たした。

「馬には個性があって、何がきっかけでよくなるか分からない。毎日積み重ねるしかない」

蓄積された経験と感覚が、未来の名馬候補へと注がれる。【桑原幹久】

 
 
蛯名正義調教師
蛯名正義調教師

◆ショウナンアデラ 2012年2月10日、下河辺牧場(北海道日高町)生産。父ディープインパクト、母オールウェイズウィリング(母父イルーシヴクオリティ)。牝、鹿毛。馬主は国本哲秀氏。美浦・二ノ宮敬宇厩舎所属。通算7戦3勝。14年JRA最優秀2歳牝馬。総収得賞金は8417万5000円。