日本ハムは今季、新戦術「ショートスターター」などにも取り組みながら7月まで優勝争いを繰り広げたが、8月以降に2度の大型連敗が響いて2年ぶりのBクラスに転落した。失速した転機など今季の戦いぶりを振り返り、来季巻き返しへのポイントを探った。

7月28日、西武戦の10回裏1死一塁で秋山の打球を後逸する日本ハム中島(左)
7月28日、西武戦の10回裏1死一塁で秋山の打球を後逸する日本ハム中島(左)

7月末の時点で首位ソフトバンクと0・5差の2位だった。ただ、最後は連覇を果たした西武と13差の5位に沈んだ。振り返れば、あの5日間が、ターニングポイントだったと思う。

起点は7月28日西武戦(メットライフドーム)。延長10回、サヨナラ負けを喫した。最後は途中出場の中島が秋山の遊ゴロを後逸(記録は失策)。一塁走者の木村の生還を許した。昨年も夏場の同球場で失策をきっかけに敗戦し、チームが失速していた。この日は最後も含めて計3失策。最悪の「デジャビュ」がもたらしたダメージは大きかった。

この試合の前後で、チームの勢いが一変したことは結果が物語る。後半戦開始の7月15日から同27日西武戦(同)までの10試合は9勝1敗。2位ながら、前半戦終了時で7差をつけられていたソフトバンクを猛烈な勢いで追い詰めていた。一方で、同30日楽天戦(札幌ドーム)以降の10試合は2勝8敗。負の流れを加速させてしまったのは、この楽天との3連戦だ。

2戦目の同31日。試合には勝ったが、主将中田が楽天エースの則本昂との対戦で打球を詰まらされた際に右手を痛めた。7月までに23本塁打と順調だった主砲の調子が狂った。回復も遅れ、8月14日には出場選手登録も抹消。同25日に戦列復帰したが、最後まで核になるポイントゲッターは復活できなかった。

8月1日の3戦目は、エース有原で黒星を喫した。勝てばカード勝ち越しで、いやな流れも止められる可能性があった。ただ、打線も活気がなく、有原は7回2失点ながら試合は1-3で敗れた。先発の柱で勝てないのは、特に勝負の夏場では影響が大きく、チームは一気に変調をきたした。

守備の乱れで敗れ、打線の軸もなくなり、エースで負ける。ここまで、わずか5日間の出来事。あらがえない逆流にのみ込まれていくのも、当然だったかもしれない。その後は9連敗、8連敗の大型連敗。若手主体のチームは流されるまま、浮上のきっかけを見失った。

西川は危機感を持って言った。「今のレギュラーを退ける気持ちでやっている若手選手がどれだけいるか。今後の課題だと思います」。新陳代謝が激しいチームカラー。下からの突き上げがなければ、チームの成長は停滞する。あらゆる苦境を打ち破る真の強さが、足りない。

肉体も心も技術も、猛練習で鍛え上げた小笠原ヘッドコーチ兼打撃コーチが招請された理由がここにある。(つづく)【木下大輔】