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2004/10/30付紙面より
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声なきファンの声を
スポーツ部 田誠記者
サイレント・マジョリティーという言葉がある。
辞書には「公の場で意思表示をすることのない大衆の多数派。1969年にアメリカ大統領ニクソンが、声高に政府批判をする者は少数派であるとする意をこめて言った語」と語源が紹介されている。実はサッカーを担当してきて、気になっていた言葉だ。
サポーターはなぜあれほど過剰に反応するのか。先日、鹿島サポーターが敗戦後のピッチに乱入した。磐田でも似たような騒ぎがあった。かつて2強と呼ばれた両チームのファンは成績不振の怒りを選手や監督にぶつけたくなるのだろう。気持ちは理解できなくもないが、それでは「声高に批判する少数派」のレッテルを、自分たちで張っているのではと思ってしまう。
今春、ジーコジャパンがW杯予選で苦戦した時も解任要求デモが起きた。
数十人の行進だったがメディアが取り上げたことで全国的な話題になった。ジーコ監督がいくら反論しても、指揮能力に問題があるようなイメージが強く残ってしまったのは事実だ。アジア杯の優勝や5戦全勝でW杯アジア1次予選を突破し、批判派の声は小さくなったが火種はまだくすぶっている。
熱烈さを飛び越えて過激なほど応援するのがサポーターであるべし。そんな誤った認識がどこかにあるのかもしれない。もちろん情報を発信するメディア側の責任も大きい。ミスリードしてきたケースがないともいえない。
トルシエ時代もそうだった。ジーコジャパンもそう。メディア側も擁護派や批判派といった形で分かれ、声高に叫ぶような論調がなくもなかった。机上や紙面上で持論を展開し、中にはネガティブキャンペーンのような報道も見られる。解任デモやグラウンド乱入が起きる背景には怒りを増幅させるメディアの責任も見逃せない。
だが実際にJリーグなどのサッカー場に足を運ぶ観客には家族連れも多い。地域によっては40、50歳代の日本リーグ時代からのファンもいる。そこには「意思表示しない多数派」もいるという現実にもしっかり目を向ける必要がある。サッカーファン=過激な若いサポーター、というイメージが先行しては、日本のスポーツ文化として根付き、底辺の拡大を妨げる可能性がある。
年が明ければ日本代表はW杯本戦出場をかけてアジア最終予選6試合に挑む。序盤戦で引き分けや黒星が続けば、またぞろジーコ解任騒動などが予想される。一喜一憂の日々。その心の揺れがスポーツの魅力でもあるのだが、少数派の意見だけが独り歩きすれば、サッカー界が迷走してしまう危険性がある。
意思表示をしない多くの人々も持っている「意思」。そこに耳を傾けていく作業がサッカー界だけでなく、メディアの側も必要になってくる。もちろん自戒を込めて。
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田 誠(でん・まこと)
スポーツ部。1963年、大阪生まれ。岡山大卒。野球記者として西武、巨人、連盟、大リーグなど担当。現在はサッカー班で日本協会・代表を取材。惑う四十路。
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