いつかじっくりとお話を伺ってみたいと思っていた田頭実選手(53=福岡)。

今回ようやくその機会に恵まれて、書き切れないくらいのいいお話をたっぷりと聞かせていただきましたよ。

--まずは1月14日の芦屋での優勝、おめでとうございます。

田頭選手 ありがとうございます。

--優勝された後に「久々に足がガクガクした(ホッとした)」とコメントされていましたけど、田頭選手でもそうなるんですか?

田頭選手 いやぁ、実は去年、1号艇で3回、優勝戦に乗って、全て優勝できなくて。博多(福岡)に関していえば、3回連続で得点トップだったのに準優とか優勝戦で飛んだりとかがあったんで、去年はなんかもう「このまま優勝できんのやないかなぁ」とか、どうしてもネガティブな気持ちがどんどん強くなっていってたんですよね。でも、何か切り替えないけんと思って「年が変わればまた運勢も変わる。流れも変わるんやないかな」という風にポジティブに変えていこう! と思いよって優勝したからですね。

--そういう意味の「ホッとした」だったんですね?

田頭選手 もちろん、いつも優勝戦に1号艇で乗って優勝した時は、一番どういう気持ち? って聞かれたら、うれしいよりもまず「ホッとする」なんですけど、特に去年がねぇ、そういう風に裏切ってばっかりだったんで。

--人気だからこその悔しさみたいなところも大きかったんでしょうか?

田頭選手 そう! そうです!! もうそれが一番ですね。

--節間の流れとかはどうだったんですか?

田頭選手 エンジンも出足とか乗りやすさが、ものすごく気に入ってて珍しく気持ちよく乗れる感じだったし、逆転で得点トップだったんで、流れはいいなぁとは思いよったんですけどね。それが、優勝戦の日になったら気温の上昇で、その前日までの足が全く維持できてなくて、特訓に行ったら2号艇の塩田選手に半分ちょっと伸びられる感じがしたんで、バタバタとペラをたたき直して、もうぶっつけでスタート展示に行ったらまぁまぁ直ってるかなという感じでした。そういうのもあって不安だらけで本番に行って、スタートもやっぱり遅れられん! っていうのはあるんやけど、ずっと自分の勘より展示とかが早かったんで全速では行けてなかったですね。

--それでも、芦屋の優勝戦はコンマ07のトップスタートで、やっぱり田頭選手のスタートの魅力って大きいと思うんですが?

田頭選手 まあ、自分を応援してくれる方というのは「田頭ならスタート遅れん! 行ってくれる!」っていうのがあって買ってくれるわけなんで、そこはもう絶対! っていう部分ですよね。

--そのスタートにこだわるようになったのは、いつぐらいからなんですか?

田頭選手 どうやったかなぁ。デビュー節はずっとスタート遅かったんで、デビューしてすぐってわけではないけど、でも結構早いうちやったと思いますよ。師匠の倉尾良一さんが「エンジンを出せ出せ」って言うんやけど全然、エンジン出し切らんで、ある時スタートで一気にまくって勝ったんですよ。それで「あ、これが一番簡単やな」って思ってから、とにかく早いのを狙うようになっていきましたね。

--田頭選手にとって「早いの」というのは?

田頭選手 分かる範囲の早さ。やっぱり誤差が結構ある時もあるし、今節はそうないなって節もあるんで、分かる範囲のぎりぎりを昔は狙って行ってました。

--昔はということは、今は?

田頭選手 みんなが言う「質のいいスタート」で、分かる時はコンマ10を全速で行けるようにという感じです。極限が分かる0台の前半とかいう考えではなくなりましたね。

--それは何か理由があるんですか?

田頭選手 昔はね、プロペラもうちらが出たころはちっちゃい「小ペラ」の時代だったし、エンジンもレースの戦法も、今とは全然、違ってて、チルトを跳ねれば伸びよったんですよね。アジャストしても、ダッシュ乗って伸びるようにしていったりとかできたからチルトで。でも、今は途中アジャストしたら簡単にまくられるんで。1年に1回、エンジン更新するじゃないですか。そうすると「あれ? 以前と違うなぁ」って感じで、ちょっとずつちょっとずつ変わっていってるんですよね。だけー、今はできるだけ行き足重視で、(レバーを)落としても伸びられんような感じの(ペラの)たたき方をしてますね。結局、優勝した芦屋でも、今まで乗ったことがないような形で挑んだら出足、行き足、伸びはせんけど、乗り心地が良くなったんです。

田頭実選手が、こだわりの「スタート」について語ってくれました
田頭実選手が、こだわりの「スタート」について語ってくれました

--そういった研究熱心さはもちろんだと思うのですが、他にも強さの秘訣ってあるんですか?

田頭選手 やっぱりね、一番はメンタルだと思いますよ。最初にオーシャンカップを取った時(1999年)、あれが本当に自分のメンタルが大事っていうのが分かった時期で、兄から薦められた本を読んで1年前からイメージトレーニングを取り入れたんです。実は、その2年前のモーターボート記念(現メモリアル)でSG初優出したんですけど、その時は進入で前付け来られてごちゃごちゃになって、水がものすごく入ってスタートも遅れたし何もできずに終わってしまって…たぶんもう舞い上がっとったんですよね。だけー、ほんとメンタルの弱さ。それがあったんで、若松でオーシャンカップが開催されるってなった時から、ずーっと1年後に優勝するイメージをして、それから。それからですよ。気持ちが大事。気持ちで走る! ってなったのは。実際、自分はスタートと気持ちだけでSG2回取りましたしね。

--メンタルとご自身の武器でSG優勝を果たされたということですね?

田頭選手 そうやねぇ。やっぱり一緒に走る選手とかにね「田頭さんのスタート怖い」って思わせるのも武器やし、「2本でも3本持っとっても、やっぱり田頭さんは怖い」って思われるとその部分で優位に立てるし快感にはなりますよね。

--まさにそのF3で2005年の若松のダイヤモンドカップを優勝された時は、どんなお気持ちだったんでしょう?

田頭選手 あの時はねぇ、優勝とかはF3の身で恐れ多くて考えられん状態やったんよね。それでも最低限、準優は乗りたいなって思ってて、エンジンがちょっと伸び型に仕上がってたんで、自分が安全やなと思えるスタートを全速で行ければチャンスはあるなと思ってましたね。で、結局、得点3位で準優1号艇やったんやけど、2着で優勝戦に乗ったんですよね。

--優勝戦に乗ると、やっぱりちょっと気持ちが変わったりはしませんでしたか?

田頭選手 いや、欲を出したらスタート行くつもりになるから、とにかく「全速で行こう!」というのしかなかった。しかも、その節ね、富士男(原田富士男元選手)が途中追加で来て、まず言うたのが「手綱締めに来ました(笑い)」って。「実さん、絶対ダメですよ!」って(笑い)。そういうのもリラックスできた要因ですね。で、優勝戦は4号艇やったんやけど、1Mでまくり差して。あの時は、もうまさかの優勝でしたね。

--「まさか」だったんですか?

田頭選手 もちろん若松やったし、若松では「走るからには、絶対1着を取りたい」っていうのはあるんやけど、あの時は参加した時の状況がF3という状況やったんで、やっぱりまさか! でしたね。実は、今一番、これ取ったら辞めてもいいかなっていうくらい欲しいタイトルが若松の周年なんですよ。ずーっと第1回大会から名前が残ってる中に自分の名前も残したい。そのためにも目の前の1走1走、1戦1戦を積み重ねていって、ちゃんと自分の持ち場で仕事をすれば、おのずと結果はついてくるし、まずは自分に勝たんことには…スタート入れんことには勝負にならんから(笑い)。

--田頭選手にとって「スタート」とは?

田頭選手 うーん、スタートは…自分のモチベーション。攻撃力。ずーっと昔から応援してくれるファンの期待に応えることやけー「ファンとのつながり」でもあるかな。フライングの怖さももちろんあるんやけど、でもそれ以上にファンの人が「勝ったよー!」って喜んでるあの姿の方が上をいくから、「切ったらいけん!」っていう気持ちを上回るから事故も多いんですけど、もうそれ(スタート)しかね、持ってないんで。僕は別にテクニックがあるわけでもないし、スタート遅れてもさばきで追い上げてくる選手でもないから、最低限スタートは行くつもりで「それで負けたらしょうがない」ってファンの方が思ってくれるようなレースをこれからもしたいと思ってます。

 
 

田頭選手 例えばフライングして帰って来るやないですか。今度こそ嫁さん怒っとるやろうなぁとか、そういうのを考えながら帰ってくると「でも、けがせんで良かったよね」って言ってくれてやりくりしてくれるんですよ。ほんとその一言で救われるし、家族の存在って大きいです。自分は今まで大きいけがとか1回もないんですけど、もう50(歳)も過ぎたら、例え軽いけがでも治りが遅いやないですか。でも、スタート行って一気にまくって勝ったら接戦にならんし、けがする場面にも合わん。あ、俺のレーススタイル間違ってなかったんや! ってそういうのも、ポジティブにプラスに思って、ネガティブになりがちなところを解消しています。