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F1 ヤマセイ杯

ヤマセイ伝説

50年日本選手権など特別競輪7勝

 山本清治(やまもと・せいじ)さんは1930年(昭5)9月26日生まれ。熊本県出身。県立熊本商を卒業後、49年2月に競輪選手に。大阪登録となり、鋭い直線の追い込みを武器に「ヤマセイ」のニックネームで活躍。特別競輪は50年日本選手権(後楽園)、51年高松宮杯(びわこ)、53年都道府県選抜など7勝。53、59年は賞金王にも輝いた。通算1290戦609勝、2着266回。勝率は47・2%を誇った。

1950年(昭26年)5月6日に後楽園で行われた日本選手権で山本清治選手が優勝したことを伝える日刊スポーツ

 1950年(昭26年)5月7日(月曜日)付 日刊スポーツ

 競輪の王者を決定する第四回春季全国争覇競輪後楽園大会最終日の六日は午前十一時から三万余のファンを集め後楽園競輪場で挙行、栄えある優勝を目指すレーサーの力走により緒戦から息詰る激戦を綴って来たこの大会は前季の覇者宮本をはじめ関東の杉井、尾崎、阿久津、関西の西田、柴垣など優勝候補が最終日をまたずぞくぞくと姿を消す波乱を呼んだが、前日世紀の覇者第一号の実用準決勝で巧号(河内正一)が終始優勢にレースを進めて文句なく勝ち、輝く二連覇を樹立したあとこの日、女子レースはスタートから牽制しあい波乱が予想されたが最終回水野が迫るのをゴール寸前で抜いた黒田智子(福岡)が晴れの栄冠を獲得した。

 男子決勝は期待通り山本清治(大阪)が衆議院議長賞を獲得、なおそれぞれ本社トロフィ優勝杯を授与された。



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