男子テニスで世界5位の錦織圭(26=日清食品)は07年10月にプロ転向し、2017年は本格的なツアー参戦が区切りの10年目を迎える。日本スポーツ界の歴史を塗り替えてきたプロ人生を振り返り、初めて「プロ人生の転機」と「思い出の試合」を選ぶとともに、10年目の決意を日刊スポーツに語った。17年の錦織は元日に開幕するブリスベン国際(オーストラリア)で始動し、1月16日からの全豪(メルボルン)で、念願の4大大会初優勝に挑む。【取材・構成=吉松忠弘】

 プロ10年目を意識したわけではないが、「似合いますかねぇ~」と、錦織が珍しくスーツ姿で登場だ。まるで青年実業家。07年10月にプロ転向して以来、賞金だけで1618万6480ドル(約18億6000万円)を稼いだ。米経済誌フォーブスで、15年6月からの1年間でスポンサー料も加えると約35億円の収入があると報じられた、日本スポーツ界の稼ぎ頭だ。

 錦織 お金には全く無頓着。いくら稼いだかも知らない。引退した後に、恩返しで、テニス界に還元するために使おうかなと思っているぐらい。

 プロに転向してから、大きな転機は4つあったという。1つ目は、08年2月のツアー初優勝だ。

 錦織 ツアーの予選を勝ったら喜んでいたレベルだったので、うれしいも何も、信じられない以上のものだった。ただ、あれが出発点だったことは間違いない。

 次に09年8月の右腕手術だ。ほぼ1年間、ツアーから離脱した。

 錦織 これからテニスができるのかなと追い込まれていた時期。メスを入れたのも初めてだったし、リハビリでは腕が動かせないし、ちょっと(テニスができなくなるほど)やばいかなと。よく乗り越えられたと思う。

 3番目は、ボティーニ、チャン両コーチとの出会いだ。

 錦織 ボティーニは、常にモチベーションをくれる。勝ち負けに関係なく、いつも一定で接してくれて、一緒にいると楽。チャンは、トップ10に行くには何を良くすればいいのかを教えてくれた。これは大きかった。

 最後は14年9月の全米準優勝だ。

 錦織 4大大会で(決勝まで)7回戦うことが、この時までは想像できなかった。それが7回戦えて、優勝もすごく近くに来ていると自信になった。トップ選手にも勝ったが、この自信の方が大きかったと思う。

 プロ転向以降、錦織はツアー本戦だけで443試合を戦った。予選やツアー下部大会を含めれば、500試合を超える。その中で、思い出が深い試合は3試合だ。

 最初は08年全米3回戦のフェレール(スペイン)戦。初めてトップ10に勝ち、自身初の4大大会16強を決めた試合だ。

 錦織 これは、まだ鮮明に覚えている。(4大大会で)5セット戦ったのも初めてで、得体の知れない5セット目。やべぇ、どうなっちゃうんだろうって思っていた。勝った瞬間は、よく覚えてないんですけど。

 2試合目は、14年楽天オープン決勝。ラオニッチ(カナダ)を相手に、優勝の瞬間、号泣した。

 錦織 前の週も優勝して、体力的にすごくきつくて。決勝前には、どこか痛いところがあって、数ゲームやって終わりだと思っていた。それが最後までファイトできて優勝。ダメだと思った試合で勝てたことで、自然と涙が出てきたのをよく覚えている。

 最後は、今年のマイアミオープンとリオ五輪のともに準々決勝モンフィス(フランス)戦だ。2試合合わせて、錦織は8本のマッチポイントをはね返した。

 錦織 今年、1ポイントの大事さをすごく感じた試合。その1ポイントも、球が落ちるところが数センチの範囲で決まるわけで、そんなので変わってしまうというテニスの面白さを再認識した。これからの教訓の素材となった試合だと思う。

 明日29日で27歳になる。毎年、恒例で渡している誕生日ケーキに数字のろうそくをつけた。年齢の「27」とプロ10年目の「10」。組み合わせると「2017」になる。

 錦織 30歳が近づいてくると、そろそろ中堅だと感じてきた。これから上の選手がいなくなり、17年、再来年とどんどん(勢力図は)変わってくる。そこで、絶対に上にいたい。

 本人は「10年目」という数字には「こだわらない」という。しかし、1つの節目として、飛躍への決意は固い。

 錦織 次の目標は、世界4位圏内にとどまること。明らかに5位と4位の差は大きい。特に4大大会、マスターズでシードが4以内だと全く違う。4位以内にいれば、さらに上に行けるチャンスが増える。そうすれば、4大大会、マスターズの初優勝は自然と見えてくる。

 「錦織圭・伊達公子・大坂なおみ それぞれの世界挑戦2017」。17年元日午後7時~、WOWOWプライム。無料放送。