フィギュアスケート女子の浅田真央(中京大)の母、匡子さんが9日早朝、肝硬変のため名古屋市内の病院で死去した。

 母匡子さんは体調を崩すまでは、浅田選手を幼少期から毎日のようにスケート場へ車で送迎していた。練習環境に恵まれなかった期間は氷を求めて各地のリンクを5カ所も転々とし、移動の合間に仮眠できるように車内に布団も積んでいた。世界に飛躍したグランプリ東海クラブ時代に指導した山田満知子コーチは「ママは頑張り屋さんだった」と話す。

 コーチが不在の間は拠点の中京大のリンクで練習を見守り、練習後はマッサージを買って出るなど献身的だった。国内外の試合にも付き添って開催地に足を運んだが「演技は見ていられない」と試合当日はホテルで朗報を待った。昨年のバンクーバー冬季五輪も現地のホテルでテレビ画面を見つめていた。

 しかし、昨季から応援に駆けつける姿がなくなった。浅田選手は昨季オフに自動車教習所に通って免許を取得。母を頼らず、今季は乗用車を運転して中京大での練習に通うようになっていた。

 五輪で金メダルを逃し、悔しさから涙が止まらない浅田選手に「応援してくれた方々がいる。いつまでも泣いていては駄目」と諭したのは匡子さん。競技生活に全身全霊をささげてきた浅田選手をじっと支えていた。