<世界体操>◇8日目◇14日◇東京体育館

 日本男子のエース、内村航平(22=コナミ)が、前人未到の金字塔を打ち立てた。2種目目のあん馬で首位に立ち、6種目合計93・631点で、2位に3・101点の大差をつけて、大会史上初の個人総合3連覇を達成した。通算3度の優勝も女子のスベトラーナ・ホルキナ(ロシア)と並んで最多。全6種目を演技した公式大会では08年9月の全日本学生選手権で敗れて以来17連勝。山室光史(22=コナミ)も90・255で銅メダルを獲得。日本勢2人の表彰台は冨田洋之と水鳥寿思で1、2位を独占した05年メルボルン大会以来。来夏のロンドン五輪へ弾みをつけた。

 誰よりも美しい。誰よりも正確で、誰よりも強かった。誰も内村を超えることなどできない。最後の鉄棒。勢いよく宙に飛び出すと、つま先までピンと伸びた足が、きれいに回転。伸身の新月面が、寸分もたがわずに着地。公約通りの「ドヤ顔」で両手を上げてガッツポーズ。「地震が起きたのかと思うくらいの歓声にびっくりした」。割れんばかりの拍手と大歓声が巻き起こり、スタンドは総立ちとなった。

 異次元の強さだった。合計93・631点は世界大会自己最高。2位のボイには世界大会最大の3・101点の大差をつけた。足先までしっかり伸び、絶妙のリズムで美しい技を繰り出す姿は圧巻そのもの。「エレガンス賞」まで手にし、「優勝以上にエレガンス賞の方がうれしい」と、最高の笑みをこぼした。

 万全な状態ではなかった。今大会は両ふくらはぎのけいれんに苦しんだ。8月に右足首を捻挫。その後、本格的な練習ができるまでに、足の筋力が落ちたという。最もほしかった団体総合のタイトルを逃した。悔しさのあまり「個人総合ができるかどうか分からない精神状態だった」。だが一晩寝ると、闘志をかきたてられた。「もうこういう思いはしたくない」。

 小さいころから、目で見たものはすぐ吸収した。小学校の時も、構成はやるよりも見て覚えた。両親が「誰々君、こうやっていたよ」と教えると「違うよ。そこはこうでこうで」と簡単に修正した。長崎・諫早中3年で、東京の朝日生命体操クラブに出稽古に行った。塚原直也らの演技を見て、帰ってくると鉄棒の高難度のコバチやコールマンを見よう見まねで練習した。父和久さんは「その年齢で大技が怖くないと言うんです。その感覚に背筋がぞーっとした」と懐かしむ。

 どこまで強くなるのか。日本体操史上、最強のモンスターだ。出来栄え点(E得点)では4種目で9点台をマーク。9点台を出したのも1人だけだった。正確さなどを表す10点満点のE得点は美しさの象徴。それでも内村は「今日、完璧だった着地は3度だけ。6種目すべて決めないと納得できない」。来年のロンドン五輪へ、世界を制した美しい体操に、敵は己だけ。飽くなき自分との闘いが続く。【吉松忠弘】

 ◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、3歳で体操を始める。15歳で単身で上京。日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダル。両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。160センチ、54キロ。