磨き、鍛え抜いた拳で、ロンドン五輪の切符をつかめるか…。アマチュアボクシングの五輪出場権が懸かる世界選手権(5月、中国)の代表選考会兼全日本女子選手権は8日、広島で開幕する。五輪実施階級のミドル級(リミット75キロ)には、お笑い芸人「南海キャンディーズ」のしずちゃんこと山崎静代(33=梅津ボクシング倶楽部)が出場する。笑いを一切捨て、死も覚悟したほど、本気で挑んできた4年間。決戦を前に、五輪へかける思いを聞いた。

 1度も笑わなかった。そんな余裕はなかった。トレーナーの怒号が飛び交う。それでも歯を食いしばり、食らいついて、パンチを出し続けた。大粒の汗がマットに落ちる。悔し涙の滴も。そこにいるのは、あの、のんびりしたお笑い芸人のしずちゃんではない。山崎静代という1人のボクサーだった。

 山崎

 突然「ワァー」って叫び出したくなることはあります。全然うまくいかなくて、一時的に「もう嫌だ」という感じになって。でも、家族に電話をして、寝れば戻る。辞めようという気持ちにはつながりません。それに「やる」と決めたから。それは、自分の中で絶対に変わることはないです。

 ボクシングで五輪を目指していることは、世間にも知られ始めた。ただ、芸人の仕事を離れたわけではない。「片手間」や「趣味の延長線」と見られることも、なくなったわけではない。そういったすべてを、練習量で全否定する。

 朝はロードワークに始まり、1ラウンドと同じ、2分間のダッシュを5本行う。さらにシャドーボクシングやミット打ちを1時間半。昼はスパーリングなどを2、3時間行い、仕事があればそこに向かう。夜は再び2時間半の練習。多いときは1日3部練習に及ぶ。経験のなさを練習量で補う。「犠牲」にしているものを尋ねると、こう答えた。

 山崎

 時間です。みんなが楽しく遊んだりする時間を、あたしは練習とか、明日の練習のために体を休めるとか、そんなふうに使っているので。

 ボクシングにひかれたきっかけは漫画。友人に借りた「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈の言葉だった。思いを寄せられた林紀子に「寂しくないの?

 同じ年頃の若者が青春を謳歌(おうか)しているのに…」と言われて答えた。「オレは、燃えるような充実感を何度も味わってきたよ。そこらにある、見てくれだけの不完全燃焼とはわけが違う。ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどに真っ赤に燃え上がるんだ。あとには真っ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。真っ白な灰だけだ」。

 山崎

 格好いいなと思った。自分がすごく中途半端だと思っていた時期やったので、そう思ったんです。

 当時24歳。その後、大阪から東京に移ると、ジムが身近にあった。07年に「趣味」のボクシングが始まった。08年には偶然、NHKドラマで女子ボクサーの主人公を演じた。「試合がしたい」。思いが募り、09年2月にC級ライセンスを取った。半年後、1つのニュースが届いた。

 山崎

 女子ボクシングが五輪に採用されると聞いて、今このタイミングで私がやっていることは「運命」だと思ったんです。

 当然、母由美子さんには反対された。趣味なら許されても、戦うことは嫌がられた。「娘が殴り合うのは見たくない」と。だが…。

 山崎

 私は昔から「これが欲しい」と決めたら、手に入るまで言うことを聞かないんです。芸能界入りにも母は反対しました。前に出るタイプではないので「あなたには無理だ」と。でも子どものときに自分をあまり外に出さなかった性格の反動で「ああいう場所に行けば、バンって出せるんじゃないか」と思って聞かなかった。頑固なんです。

 本格的な競技生活が始まった。だが、マジメで優しく、不器用で我慢強い性格が災いした。腹が立つ感情がなく、相手をぶちのめす気が弱い。パンチもなぜか怖がらない。打たれる恐怖心がないため、防御は自然とおろそかになった。

 山崎

 もともと、いろんなことが鈍いんです。今まで耐える感じで生きてきたので、痛みに強くて。お笑いの罰ゲームでも痛がらないといけないのに、我慢して耐えちゃったり。マッサージも、痛くてもこらえて痛くないフリをしちゃう。

 国内でミドル級の選手は皆無。試合ができず、経験不足は解消されなかった。全国を行脚し、多くの指導者に習いに行った。批判の声に泣きながらスパーをしたこともある。努力の末に昨年5月、強化選手に選ばれた。だが、同7月のジャカルタ合宿で突然倒れて、救急車で病院へ。過労と水分不足だった。

 山崎

 体が動かなくなっちゃったんです。もう、どうなるか分からなかった。このまま死ぬのかなと思いました。ボクシングができなくなるかなと思ったけど、でも辞めたくなかった。

 再び練習を続けた山崎に、梅津トレーナーは「しずには見せてほしいんです。才能がなくてセンスは相手が上でも、練習すれば何とかなるっていう見本を」と言う。90キロ近かった体重は75キロに絞り込まれ、腹筋が割れた。体脂肪も33%から20%を切るまでに。減量中にグルメリポートの仕事が入ったことがあったが…。

 山崎

 一口も食べなかった。それは多分、ダメ。でも(相方の)山ちゃんのフォローでボケにしてくれた。良かったです。

 メーク中にうとうとしたことがあった。対戦相手がいて、自然と手が出た。目が覚めるとメークさんを殴っていた。幸い大丈夫だったが、夢の中までボクサーになっていた。完全燃焼で「白い灰」になる場所は、五輪のリングと決めている。次が国内で初めての公式戦。「確実にちゃんと勝ちたい」。日本で負けてはいられない。【今村健人】

 ◆山崎静代(やまざき・しずよ)1979年(昭54)2月4日、京都府福知山市生まれ。大阪・茨木西中時代は陸上部、茨木西高時代は女子サッカー部所属。アマチュア時代にABCお笑い新人グランプリに出場し、審査員特別賞を獲得。03年に山里亮太と南海キャンディーズ結成。ボケ担当。06年映画「フラガール」で女優デビューし、日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。ボクシングは07年に趣味で始める。身長182センチ。