フィギュアスケート女子の浅田真央(23=中京大)が来季休養する意向を持っていることが18日、分かった。3月の世界選手権で3度目の優勝を果たした後、アイスショーなどに出演しながら去就を検討。集大成として臨んだシーズンを終えて進退に注目が集まっていたが、結論として休養を選んだ。今日19日にアイスショー「ザ・アイス」の開催記者会見に出席し、自ら意思表明するとみられる。

 フィギュア界だけでなく、日本スポーツ界のヒロインとして走り続けてきた浅田が、休息を取る。「集大成」と位置付けたソチ五輪シーズンを終え、1つの結論を出した。7月1日からの新シーズンでの競技会の出場を控え、心身ともにリフレッシュを図る。

 3月、世界選手権で3度目の女王に返り咲いた後に、「体はまだまだいけると思うので、自分の気持ちかな」と進退を決断する要素を挙げていた。この2カ月間、ショーで全国を回りながら思案してきたが、もう少し時間が必要だと判断したのだろう。その「気持ち」が現役続行か、引退か、どちらに向くのか、自分への問いかけを続けていく。

 5歳で競技を始めてから長期休暇を取ったことはなかった。トップ選手で、これだけ長期間試合に出続けてきた選手はまれだ。ショーに出演しながらでも、競技会から離れることで、時間には余裕ができる。

 過去、母匡子さんの死去などもあり、スケートをやめようかと考えていた12年春に訪れたハンガリーで、気持ちが大きく動いたことがある。バレエレッスンのために3週間滞在し、姉舞さんと2人で町歩きなどをするうちに「やっぱり自分はスケートが好きなんだな」と実感したという。フィギュア漬けでない場所として、海外などに再び赴くのも意義あることだろう。

 実際、フィギュア界では休養を挟みながら現役を続けた選手もいる。06年トリノ五輪金メダリストのプルシェンコ、浅田のライバルで10年バンクーバー五輪金メダリストの金妍児らは、1シーズン以上の休みを取ったことがある。フィギュアに限らず、一流選手が休養したことで自身の新たな一面を発見して、復帰する例は多い。

 浅田は今日、7月に長野、愛知、大阪で行われるアイスショー「ザ・アイス」の開催会見に座長として出席する。その場で、今後について言及することが濃厚だ。今月末にはカザフスタンでショーに出演し、6月はカナダで新エキシビションの制作に入る。7月に各地でのショーを終えた後に、休養となりそうだ。<浅田の去就発言>

 ◆13年4月13日

 国別対抗戦のフリー後に、13-14年シーズンにむけて「(五輪で)自分の集大成の演技ができるように頑張りたい」。その後「五輪シーズンが最後のつもりですか?」と聞かれ「今はそのつもりです」と答えた。引退時期に言及したのは初。

 ◆14年2月17日

 ソチ五輪女子シングル前の公式会見で「最後の五輪か?」と聞かれ、「終わってみなければ分からないとは思うんですけども、本当に今までできることをすべてやってきたので。あまり最後とは思わないように」。

 ◆14年2月25日

 ソチから帰国後に日本外国特派員協会で会見し、現役続行の確率について「50パー…、今のところハーフ、ハーフぐらいです」。<休養後復帰したフィギュアスケーター>

 ◆エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)

 金メダルを獲得した06年トリノ五輪後に翌シーズンの欠場を発表。ショーを中心に滑りながら07-08年シーズンでの復帰を目指したが、ケガなどに苦しんで、競技会の出場は09年9月まで遅れた。

 ◆金妍児(韓国)

 バンクーバー五輪後に1度休養し、2位だった11年4月の世界選手権で1年1カ月ぶりに復帰。その後に再び競技を離れ、18年に母国で開催される平昌五輪の招致では広報大使を務めた。12年7月に復帰を表明。