常磐線に乗って岩沼から2駅。阿武隈川を渡り、亘理駅に着いた。


町内には津波で壊滅的な被害を受けた荒浜地区がある。タクシーで東へ約5キロ。常磐道を越えてほどなくすると、軒並み立っていた住宅が突然、消えた。沿岸から約2キロ一帯は災害危険区域に指定され、住宅の建設が禁止となった。土地のかさ上げ工事で更地となった沿岸部に立ち、道半ばを実感した。

荒浜地区出身の高野次夫さん(73)は、同じく亘理出身の妻栄子さん(69)とともに、仙台の繁華街・国分町で飲食店「松平」を営む。店を開いて48年。三陸の海の幸をふんだんに使い、亘理名物「はらこ飯」が看板メニューだ。

幸い、震災翌日には電気や水道が通った。寡黙で職人気質の親方は、他者への思いやりが厚い東北人。「災害復旧で働いている人が食べられるように。できるもので料理を作った」。他県に住む弟子たちから送られた食材やガスを使って、店を開き続けた。「私たちはまだいい方。もっと大変な人はたくさんいる」。普段のメニューにはない、おにぎりやカレーライスを格安で提供した。深夜までの営業を終え、市内の自宅までタクシーで帰ると赤字になるほどの売り上げしかなかったが、休まず開き続けた。

仙台市内で飲食店「松平」を営む、親方の高野次夫さん(右)とおかみの妻栄子さん(撮影・湯本勝大)
仙台市内で飲食店「松平」を営む、親方の高野次夫さん(右)とおかみの妻栄子さん(撮影・湯本勝大)

東北一の繁華街から復興の様子を見続けてきた。9年たつが、明るい話題だけではない。震災後に店をたたむ仲間も多く、昨年1年間だけで国分町の店舗が220軒も減った現実がある。

14日の常磐線全通も手放しでは喜べない。栄子さんは「私たちぐらいの年代だと、家を新しく建てようという勇気はない。違う場所に行った人も、亡くなった人も多い。人が戻ることはないんじゃないかな」と寂しげに語った。それでも前を向き「私たちはお客さんにも恵まれている。先々のことを考える暇はなかった。頑張れる時に頑張らないと」と、今日もお客さんのために店に立つ。

現在の亘理町・荒浜地区。震災前は住宅地だったが、災害危険区域に指定され、住宅の建設が禁止となった(撮影・湯本勝大)
現在の亘理町・荒浜地区。震災前は住宅地だったが、災害危険区域に指定され、住宅の建設が禁止となった(撮影・湯本勝大)

夫妻は球団創設時からの楽天ファン。店内では楽天戦の中継を流し、ファンが集い、選手が訪れることもある。野球を応援している時は気分転換にもなる。13年の日本一になった夜も人通りは多くなかった。次夫さんは「初めてのことで喜び方が分からなかったのかな」と笑う。

今年こそ街を挙げての祝勝会を…、再び常磐線に乗り込んだ。福島県に入る。(つづく)

【湯本勝大】