7年間のプロ生活に別れを告げた中日阿知羅拓馬投手(28)は、新たな世界に飛び込む。「柔道整復師を目指し、専門学校に3年間通います」。三財中(宮崎)-大垣日大(岐阜)-JR東日本、そして中日。人生の半分以上を注いだアスリートとしての経験を、治療する側で生かす道を選択した。

19年5月、ヤクルト戦でプロ初勝利の中日阿知羅(右)は与田監督の祝福に笑顔を見せる
19年5月、ヤクルト戦でプロ初勝利の中日阿知羅(右)は与田監督の祝福に笑顔を見せる

18年オフに就任した与田監督らが、それまで5年間1軍未勝利だった阿知羅をファームから発掘した。身長193センチの門倉2軍投手コーチが190センチの阿知羅をサポート。長身を生かすため、19歳以来となるワインドアップ投法を復活させ、19年5月5日ヤクルト戦(ナゴヤドーム)に先発してプロ初勝利をつかんだ。2勝目を目指し、その秋は27歳にしてフェニックスリーグに参加、飛躍を誓った。

しかし、今季1軍昇格はなく、2軍で12試合の登板に終わった。「これまでは1年のうち調子の上がる時期があった。今年はなかった。来年、野球を続けても同じだろうと感じた。クビなら区切りにしようと思っていた」。戦力外を悟った。11月3日に球団事務所に呼ばれた時には、球界を去る気持ちは固まっていた。

中日阿知羅の年度別成績
中日阿知羅の年度別成績

出身地の宮崎に戻ってサラリーマンになることも考えた。「野球しかやってこなかった。スポーツの現場で役に立てることを考え、柔道整復師を選んだ。学生、社会人の経験もある。プロの経験が生かせると思う」。球団のトレーナーにも柔道整復師の免許を持つ人は多い。自分のケアをしてくれた姿が、新たな道を示してくれた。今後、第2の故郷、愛知の学校に通う。「名古屋には治療でお世話になった方もいる。ドラゴンズのトレーナーの方々もいる」。これまではグラウンドで一流選手の背中を追い、これからはアスリートの体を支える先輩たちのそれを追いかける。

20年中日退団選手(※は育成)
20年中日退団選手(※は育成)

唯一の白星を挙げた試合ではプロ初安打初打点のオマケもつき、最初で最後となったお立ち台でこう言った。「阿知羅という名前を覚えてほしい」。名字は全国で10人程度しかいないとされる。4年後、柔道整復師界に珍名の超大型新人がデビューする。【伊東大介】