3月20日、春分の日の甲子園は、薄曇り。下り坂の天気に気をもむような大会2日目。第2試合が間もなく始まる。グラウンドでは、21世紀枠で初めて甲子園にやってきた静岡・三島南の選手たちが守備練習をしている。一塁側アルプス席では、現役の生徒や保護者、先生方に交じって昭和、平成の卒業生たち。野球部OBの懐かしい顔もたくさん見える。試合と試合の間の慌ただしくも静かな時間が、甲子園に流れていた。

三島南OB会長の諏訪部孝志さん(2021年1月30日撮影)
三島南OB会長の諏訪部孝志さん(2021年1月30日撮影)

野球部OB会長の諏訪部孝志さん(62)は、全員が着席したのを見届けて、外野寄りの上段に腰をおろした。後輩たちのプレーだけでなく、母校の応援も一望できる場所で見届けたい、と思ったからだ。

甲子園のスタンドは初めてではない。だが、母校が出ているというだけで、その景色はまったく違って見えた。言葉で表現はできないけれど、確かに違う。土や芝の色もスコアボード、においや空気さえも。「あぁ、これが甲子園なのか」。自分が出ているわけでもないのに、諏訪部さんは感激に浸っていた。

午前11時40分、試合が始まった。対戦相手は鳥取城北。甲子園の経験だけでなく、部員数も練習設備も格段に充実している。三島南は、昨年秋の県大会準決勝で敗れ、東海大会にも出られなかった。母校を応援する気持ちに変わりはないが、諏訪部さんは「せめて大敗だけは、しないでほしい」と祈るような気持ちだった。「なぜあんな弱いチームを21世紀枠に選んだのか」という非難だけは浴びたくなかった。

敗退し応援団にあいさつする三島南の選手たち
敗退し応援団にあいさつする三島南の選手たち

♪ゆるぎなきものに念(おも)はむ 富士箱根蒼穹(そら)に据(すわ)れり

甲子園に初めて流れる校歌にOBたちが流した涙も乾かぬ2回裏、三島南は1点を先制。5回に3点を奪われたものの、6回には1点返して、終盤まで互角の戦いを見せる。地元、三嶋大社の夏祭りで使われる「みしまサンバ」で、スタンドも白熱する。「やるじゃん、やれるじゃん!」。諏訪部さんは、こぶしをぎゅっと握って戦況を見つめる。「甲子園って、本当に素晴らしい!」。

9回に3点を追加され、試合は2-6で敗れた。それでも諏訪部さんは、この上なく満足していた。出場決定からこの日までの約2カ月。あまりの忙しさとトラブルに「勘弁してくれ」と何度も思った。でも、今は「夏を勝ち抜いて、もう1度ここへ来たい。来られるなら、もっと大変な思いをしたっていい」と思った。

帰途、300人ほどの応援団を乗せたバスの車列は、三重県のリゾート施設に立ち寄って、夕食会が開かれた。「お疲れさま」「よう、お疲れ!」。諏訪部さんのもとに、入れ代わり立ち代わり、いろんな人がビールを注ぎにやってくる。そのたび律義にグラスを空けながら、諏訪部さんは思った。

「うまいなぁ。人生でいちばんうまいビールかもしれない」【秋山惣一郎】

◆諏訪部孝志(すわべ・たかし)1958年(昭33)、静岡県三島市生まれ。三島南野球部では捕手で2年時からレギュラー。75年夏の静岡大会で16強。18年から同校野球部OB会長。現在は同県熱海市の高校に非常勤労務職員として勤務。