6月末の南北海道大会から始まった夏の高校野球は、智弁和歌山の優勝で幕を閉じた。2年ぶりの「球児たちの夏」には、今年もさまざまなドラマがあった。全国の担当記者たちが振り返る。

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北海道では、たった1人の野球部というのが決して珍しくない。国土の5分の1を占める広さの半面、人口密度約70人/平方キロメートルは全国最低。野球人口自体が減る中、札幌や旭川などの都市に選手が集まる一方、郡部では孤独に耐えながら野球を続ける高校生がいる。今夏、北海道高野連に登録された部員1人の高校は7校。そのうち3年生1人の白糠、更別農、大樹、月形は、それぞれ連合参戦し、最後の夏を終えた。

更別農は川田真哉斗内野手1人。清水・広尾・芽室との4校連合に加わり3番一塁手として足寄戦に出場した。初戦敗退(1-8)も「最後までやり抜く力がついた。やってきて良かった」。昨夏の大会後、先輩2人が引退し1人に。やはり寂しさはあったようだ。「心細くてやめようと思ったこともあった」。支えになったのは、卒業する今春まで時々キャッチボールにつきあってくれた3年生部員の存在だった。「先輩から言われた『最後までやめないで頑張れ』という言葉が励みになった」。春以降は山本智一監督(56)と2人で日々、キャッチボール、守備ノックにティー打撃を続けた。「休部になってしまい申し訳ないが、もし野球をやりたい後輩がいたら、春までは僕がキャッチボールの相手をしたい」。複雑な思いを抱えながら、高校野球を終えた。

更別農・清水・広尾・芽室対足寄 初戦で敗れベンチ前に整列する更別農の川田(右から4人目)
更別農・清水・広尾・芽室対足寄 初戦で敗れベンチ前に整列する更別農の川田(右から4人目)

大樹の長谷川想内野手(3年)は鹿追・士幌・本別との4校連合に加わり、4番三塁で初戦の幕別清陵戦に出場。7回2死二、三塁で二塁への2点適時内野安打を放ち7-0勝利に貢献した。これが高校生活最初で最後の勝利。鹿追の校歌が流れる中、大樹の校旗が掲揚された。「いつも1人だった分、週末の合同練習が楽しみだった。みんなでつないだグループLINEに連絡が来るたびに気持ちが上がった。対戦相手が決まってからは相手の情報を持ち寄って研究したりした。とても楽しかった」。単独出場を夢見ながらも、他校の仲間と触れ合い、連合ならではの喜びを知った。

 
 

この長谷川の大樹と、週末に全チーム集まって合同練習した士幌までは、陸路で約90キロ離れている。これは東京駅からだと群馬・太田までの道のりに相当する。北海道は、その地理的特性で、連合を組む相手が遠距離になることは、そう珍しくない。12年の浜頓別・利尻・剣淵連合は272キロ(剣淵~利尻間。フェリー移動含む)離れていた。

今夏出場した苫小牧西・白老東・富川・えりもの連合は、最も遠い白老東~えりも間が185キロ。今秋は室蘭工も加わり最大距離224キロに広がる。この連合にも1人野球部がある。白老東は夏で3年生2人が引退し鎌田朔太朗(2年)だけに。コロナ禍で合同練習の機会は限られるが「本番では遠慮せず全力でプレーしたい」と意気込む。たった1人でも遠く離れていても手を取り合い出場を目指す。北の球児たちや、支える指導者の懸命な取り組みが、少しでも野球人口増加のきっかけになってくれたらと、思う。【永野高輔】