ロッテ、51年ぶりの優勝なるか-。夏から秋へ。担当記者のツイッターはフォロワーが増え、熱いファンたちの思いで埋まった。現実では皆、どんな熱い顔で応援しているんだろう。会いたくなった。旧本拠地の川崎から東京下町を経て、千葉幕張へ。のべ2日かけて歩き、出会えた人に尋ねた。ファンになって、人生変わりましたか? 十人十色の人生模様、そのひとコマを全4回でお届けする。

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10月18日朝8時45分、川崎大師のさい銭箱に51円を入れた。「いい仕事、できますように」。

ツイッターは実名登録の必要がないSNSだ。おかげさまでフォロワーは1万人台に達したが、その99%は本名も顔も知らない。「もしよろしければ、こんな格好で歩いてますので、ロッテの思い出聞かせてください」とつぶやく。ロッテのTシャツを着て、キャンプ地石垣島で買った南国柄のマスクをつけた。

「本当は一緒に歩きたかったですよ」。内竜也さん(36)からのメッセージを受信した。いくつものケガに泣かされながら17年間、ロッテを支えた名リリーバーの故郷は、この川崎大師周辺だ。03年のドラフト会議の朝、彼の実家まで押しかけて一緒に登校した、青臭い自分を思い出す。

30分弱でかつてのロッテオリオンズの本拠地、川崎球場跡地に到着した。照明塔は今も残る。ここで川崎時代からのファンと会えるなんて都合のいい話ないよなぁ。「もしかして、金子さんですか?」。あった。背番号7のオリオンズユニホームを着るのは、ご近所の角田誠さん(58)。「ライトスタンドの奥の産婦人科で生まれたんですよ。今はそこ、歯医者になってますけどね」。

小学生で仙台に引っ越し、高3で横浜に戻ってきた。千葉移転直前の90年には12戦観戦で12敗。「自分以外のロッテファンに出会ったの、25歳の時が初めてなんです」。川崎劇場の生々しい思い出を聞いていたら「私も…よろしいですか?」と後ろから声が。

益田直也投手(32)のファンだという女性が、マリン観戦旅行の帰り際に、わざわざ川崎へ足を伸ばしてくれたそう。広島県在住。阪神ファンはどこにでもいて、ロッテファンはどこへでも行く…とは聞いたものだが、すごい行動力だ。ロッテファン歴はまだ浅いのだそう。「私も周りもみんな、幼少期からカープの英才教育を受けました。カープの話は天気の話みたいなもので」。

プロ野球は近所で見るもの-。でも近年はチケット入手が困難になった。少し足を延ばして福岡へ。「もともと、マツダの交流戦でも応援を満喫するためにロッテ戦は必ず行っていて」。福岡遠征以降はすっかりロッテファンに。「野球を遠くへ見に行くようになりました。そのうち、ファンの友達の輪も広がって」。やがてこんな出会いにもつながるから、面白い。

10時20分、多摩川に架かる六郷橋を渡って東京都に入る。川崎球場跡で出会った2人の話が面白く、この時点で想定比50分遅れに。この日のゴールは東京・南千住の東京スタジアム跡地に設定している。ここから本番だと気合を入れる。次は蒲田で声を掛けられた。「ここに昔、箱根駅伝で有名な踏切があったんですよ」。あぁ、確かに踏切が下りて走者が止まっていたシーンが記憶によみがえる。村上加津彦さん(39)は、その立体化事業に関わったそうだ。

職場は東京、家は千葉。ロッテ好きになったのは00年代前半のこと。観戦会でファンの輪を広げ、草野球チームまで結成した。05年にロッテが日本一になると、当たり前のように仲間たちでビールかけをした。「男5人、風呂場でパンツ一丁で、ちょっとだけですけどね」。武勇伝に笑いながら、平和島の旧東海道入り口まで一緒に歩いた。千葉はまだ遠い。【ロッテ担当=金子真仁】(つづく)

ロッテ51年ぶりの優勝を願うロッテファン(右)とロッテ担当金子(撮影・ロッテファン男性)
ロッテ51年ぶりの優勝を願うロッテファン(右)とロッテ担当金子(撮影・ロッテファン男性)