昭和が終わりを告げる直前の1988年(昭63)11月1日、田中将大は兵庫・伊丹市で生まれた。駒大苫小牧高、楽天、ヤンキースと野球界のトップを走り続け、楽天時代の13年には、無傷の24連勝でイーグルスを初の日本一へ導いた。先頭を切って平成を駆け抜け、新時代へ挑む怪腕。今、何を考え、どこを目指していくのか-。

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「Live for this」

直訳すると「このために生きる」。数年前、メジャーのポストシーズン(PS)が始まると、テレビ中継した各局が何度となくこのフレーズをCMで流し続け、定着した。公式戦は162試合の長丁場を戦い抜く。それらすべての終着点、最終目標がPS、ワールドシリーズ(WS)にある…選手の心根を的確に表現した言葉だった。

メジャー5年目の戦いを終えた田中は、図らずも同じ言葉を漏らした。

今季はワイルドカードゲームを勝ち抜き地区シリーズに進んだものの、宿敵レッドソックスに敗退。公式戦でメジャー3位の100勝を挙げながらPSで勝ち抜けず、WSに届くことなくシーズンを終えた。

昨年もリーグ優勝決定シリーズで涙をのんだ。

「(15年に)ワイルドカードゲームには出ましたが、去年、初めてプレーオフを戦って、ようやく分かりました。『このためにやっている』ということを実感しました」

先発ローテを任されている以上、年間を通してコンスタントに長いイニングを投げ、チームに勝利をもたらすことが求められる。一方で、シーズン終盤の大事な試合、さらにはPSでの1勝は、より重みが増す。メジャー1年目の当時、一心不乱に腕を振っていた田中は今、WS第7戦までのPS19試合を加えた全181試合をイメージできるようになった。

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いかなる理想像を目指していくのか。

「やっぱり勝てる投手ですね。最近の(メジャーの)野球は、3巡目の披打率とか、いろいろあって継投が早いですから、先発投手にとっては正念場。長いイニングを投げれば、それだけ勝つ可能性は高くなるとは思いますけど」

元来の性格か、プライドか。理想像として具体的な投手名を挙げようとはしない。「勝てる投手」こそがライバルなのだろう。

毎試合、完璧に抑え込めれば、それに越したことはない。ただ、自軍打線が4点取れば、自ら3点以内に抑えて勝つ。チームが勝つために、何をすべきか。田中の思考は、着実に「勝てる投手」の理想像へ近づいてきた。

「試合の中でギアを上げるとか言われますけど、点を取られちゃいけない場面でしっかり抑えられるか。そういうことです」

日米通算12年目を終えて163勝。松坂大輔(中日)岩隈久志(マリナーズFA)の170勝に次いで、石川雅規(ヤクルト)と並んで現役3位。30歳の年齢からも、名球会入りが確実視される。プロ入り後、野村克也に野球の「礎」をたたき込まれ、星野仙一から「魂」を学んだ。昭和の名将から教えを受け継ぎ、平成で熟成させ、次代につなぐ。

最終的な目標が世界一のリングであることに変わりはない。

「冷静さと気迫を兼ね備える…そういうことでいいんじゃないですかね」

もう1人の田中将大を俯瞰(ふかん)するかのように、柔らかい表情で笑った。(敬称略=この項おわり)【四竈衛】