2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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2004年(平16)9月3日、毎日新聞が1面トップ扱いで、巨人前オーナー渡辺恒雄(8月13日、新人選手獲得を巡る裏金問題でオーナー辞任)が「巨人はパに移籍してもいい」と発言した記事を掲載した。5球団ずつの2リーグ構想を明らかにしたのだ。

前日2日、東京・銀座の連盟事務所で、パ・リーグ臨時理事会が行われた。その席で「パ・リーグが4つになれば、おいしいことがあるかもしれませんよ」と発言した人物がいる。

パ会長で、毎日新聞社出身の小池唯夫(17年に死去)だった。ここに1通の内部文書がある。小池と、西武、近鉄、日本ハム、オリックスが「ダイエー」「ロッテ」の2球団に、早期合併を促した異例の極秘文書だ。

8月10日、近鉄、オリックスが球団合併に関する基本合意書に調印。その2日後、プロ野球選手会はスト権を確立し、合併凍結を訴え続けた。経営者サイドは、「10球団1リーグ」の実現に向けて、近鉄、オリックスに続く合併を成立させるのに必死になった。

7月7日のオーナー会議後、西武オーナー堤義明が「もう1つの合併が進行中」と発言したのは、ダイエー、ロッテが基本的な組み合わせだった。ロッテ、西武、ダイエーなどで球団経営に携わった坂井保之(プロ野球経営評論家)は、当時を振り返った。

坂井 当初、パ・リーグには「1リーグ」という思想はなかったはずだ。しかし、近鉄、オリックスの合併で(セ、パ両リーグが)1つになれば、という願望が芽生えた。親会社の規模でいえば、パ・リーグのほうが大きい。でも1リーグになれば、人気球団の巨人と試合ができて、球場を超満員にすることができる。パ・リーグの願望は本気になっていった。

ロッテから合併を打診されたダイエーだが、本社社長だった高木邦夫が産業再生機構の活用に抵抗したことで、球団事業への対処は先送りされた。「もう1つの合併」は後れを取った。

それでもパは、ドル箱の巨人戦を手に入れることができる1リーグに執着する。パの臨時理事会では「1リーグにならなかったら、パ・リーグは解散するしかない」という意見も出たが、その方針に異議を唱える理事はいなかったという。

不退転の姿勢を示すかのように、当該球団を除くパ4球団は、各理事の連名で、ダイエー、ロッテに合併を要請する文書を送付した。それが「1リーグ制」導入に執念を燃やしたパ・リーグの、まるで“血判状”ともとれる極秘文書だった。(敬称略=つづく)【寺尾博和】

坂井保之氏
坂井保之氏