2年目の大学野球シーズンへ-。1月30日、日大のグラウンドで行われていた紅白戦には、懐かしい選手がマウンドに立っていた。山内翔太投手(1年=習志野)。19年春、夏の甲子園に出場し、エースの飯塚脩人投手(現早大・2年)とともに2枚看板として、センバツでは初戦、準決勝、決勝に先発し、準優勝に貢献。夏も2試合に先発した選手だ。

この日の紅白戦では、1イニング、打者6人に32球を投げ、2安打されるも、持ち前の気持ちの強さと制球力で2三振を奪い失点1、自責は0。当時の習志野の強さをほうふつとさせる投球に、冬の寒さも吹き飛んだ。「この2年間、左肩を痛めて投げていなかったんです。これが大学初投げ。やっと投げられてホッとしています。これで一段落かな」と、安心した表情を見せた。

投球スタイルは当時と変わらない。スライダー、カーブに精度の高いチェンジアップで空振りを奪う。「ずっとリハビリとトレーニングをしてきたので、投球スタイルは変わりません。これから、一からやっていきたい。まずは真っすぐの力強さをつけていきたいですね」と、ようやく大学野球のスタートラインに立った。

同期の活躍がリハビリの原動力になった。「一緒に日大に入学した角田(勇斗内野手)は1年から試合に出ていた。高校の時から実力もセンスもあった。先を越されましたね。ポジションは違っても、自分を奮い立たせる存在になっています」と話した。角田も19年センバツの準Vレギュラー。3年時は、主将としてチームを引っ張った。昨年は、秋季リーグ戦で神宮デビューを果たし、4試合に出場、6打席に立った。安打こそなかったが、亜大戦では1-4で迎えた9回裏、2点を挙げなおも満塁の場面で代打で登場。しぶとく粘り同点の押し出し死球をもぎとった。角田は「緊張することなく打席に立つことができた。何とかしてやろうと打席に入れた。高校で経験をしてきたからこそ、だと思います」と振り返った。

ともに「習志野での野球が生きている」と胸を張る。習志野では細かい場面を想定し、徹底的に練習を積んできた。山内はフィールディングや、細かいプレーにも体が自然と動く。角田は「例えば内野と外野、投手と内野の連係プレーは、高校時代に時間をかけて徹底して練習してきた。山内の動きを見ていても、他の人と違うんですよね」と、うなずく。そして何より、2人には春、夏の甲子園、という大舞台での貴重な経験がある。この日の紅白戦でも、大学初登板にもかかわらず、堂々と投げる姿に、スタッフからは「投げた時の立ち居振る舞いが違う」と評価を受けた。「高校の3年間は、有意義な時間だったと実感しています」と口をそろえる。

一昨年夏の習志野は角田が主将で山内がエースで県独自大会に臨み優勝候補に挙げられながらも、地区トーナメント決勝で市船橋に5回コールドで敗戦。試合後、角田は「結果が全てなので。受け止めるしかないです…」と涙。山内は「大事な試合でチームに迷惑をかけた。自分の力不足です」とぼうぜんと立ち尽くした。記者の記憶の中の2人は、悲しい表情で止まっていた。あれから1年半-。山内は「1年間何もしていないので、今年は取り返したい!」と言えば、角田は「結果にこだわって、注目してもらえる1年にしたい」とニッコリ。そして最後に3年後の目標に「プロ野球」を掲げた。力強く、新たなスタートを誓う「習志野コンビ」の目の輝きに、今季の活躍が楽しみになった。【保坂淑子】

◆山内翔太(やまうち・しょうた)2002年(平14)11月4日生まれ、東京都江戸川区出身。習志野では1年春からベンチ入り。2年センバツ、夏の甲子園に出場。背番号10ながら、先発投手としてセンバツ準優勝に貢献。夏は2回戦進出。2年秋からはエースを務めた。キレのいい変化球と安定した制球が持ち味。174センチ、72キロ。左投げ左打ち。

◆角田勇斗(かくた・ゆうと)2002年(平14)4月24日生まれ、千葉県船橋市出身。習志野では1年春からベンチ入り。2年センバツ、夏の甲子園に出場。ショートのレギュラーとしてセンバツ準優勝に貢献。夏は2回戦進出。2年秋から主将を務めた。1歩目の速さと安定した送球で甲子園では好プレーでチームを支えた。174センチ、68キロ。右投げ右打ち。