【2015白球メモリー:日大東北・中村猛安監督】

 三たび「聖光の壁」に阻まれた。昨年まで2年連続延長サヨナラ負け。今年は1点差。「選手を冷静にしてやれなかった。僕の責任ですよ」。日大東北コーチ、部長をへて10年4月に監督就任。6年目の夏も、あと1歩及ばなかった。

 1-2の5回2死一、三塁。エース右腕岩城光(3年)の交代を「迷った」と言うが「3点までは(岩城と)決めていた」。続投させた直後に左前打で追加点を奪われた。その1点が結果的に決勝点になった。采配の難しさを味わった。

 父は元PL学園監督で甲子園通算58勝、優勝6回の名将、中村順司氏(68=名商大監督)。毎年、夏の大会前に激励に訪れる。猛安監督はPL学園での甲子園出場はない。日大進学後は高校野球の監督になるために教員免許を取得。選手の夢をかなえる指導者の道を選んだ。

 昨秋、ふがいない試合をした選手に、球場から学校のグラウンドまで30分以上走らせた。だが主将の落合滉樹(3年)は「あれがあったから、ここまでこれた」と言う。時には対戦投手の決め球を自ら投げ、選手に打ち込ませた。厳しさの裏に温かさもある。

 3年連続の準優勝に「ついてないかもしれないですね」と話すが、3年間で終わる選手と違い、指導はまだ続く。「非運の監督」が甲子園にたどり着くまで。【久野朗】(おわり)