中越(新潟)は富山第一に0-1でサヨナラ負けした。昨年の滝川二戦(兵庫=3-4)に続いて2年連続のサヨナラ負けだった。エース今村豪(3年)は8回1/3まで無安打投球の好投。5四球、2失策で走者を許しながらも粘投したが、9回1死から2長打を浴びて敗れた。目指していた94年以来22年ぶりの校歌は、来夏以降に持ち越しとなった。

 粘投は勝利に結び付かなかった。今村の快記録も、わずか1球の失投で途絶えた。8回1/3まではノーヒットノーランペース。120キロ台がほとんどの直球と、スライダー、シュートを駆使して富山第一打線を手玉に取った。9回1死までに許したのは5四球と2失策の走者だけ。そこから浴びた連続長打で勝利を逃がした。泣きじゃくるエースに、捕手の広川健介主将(3年)が肩を貸してグラウンドを後にした。

 「失投をなくそうと意識していたけれど、出てしまったのが悔しい」と今村は話した。富山第一打線に投じた115球の中で、最後の最後に甘い球を投げてしまった。9回1死から狭間悠希(3年)に投じたスライダーは、外角に投げるつもりが内に入って右中間二塁打。ノーヒットノーランが途絶えて迎えた1死二塁のシーンは、外角の直球が内に入って痛打された。「(相手初安打の)二塁打を打たれて、焦りが出た。1拍置いて間合いを取れば(サヨナラ安打は)なかったかもしれない」。

 本田仁哉監督(40)は言う。「(今村は)もともと気持ちが強い子。大舞台でも丁寧にコーナーを突いて自分の球を投げていた」。確かに、強気の姿勢は甲子園のマウンドで貫いた。味方が失策で走者を出しても顔色ひとつ変えない。先輩たちが出場した昨年夏もそうだった。

 昨夏は打撃投手としてチーム帯同。打撃練習では、先輩たちに真っ向勝負を挑んでいた。「県内NO・1の打者たちを抑えられれば、来年(今年)も大丈夫。そう思って投げていた。打たれるのは好きではないので…」。この日も、攻めの姿勢は一貫していた。

 94年の甲子園2勝以来22年ぶりの校歌を歌う目標にあと1歩まで迫ったが、逃がしてしまった。11日に40歳の誕生日を迎えた本田監督に「ウイニングボールを渡したい」という希望も実現できなかった。「甲子園で校歌が歌えなくて残念です」。しかし、敗れたとはいえ、個人的な目標は達成した。「甲子園で名を残すような気迫の投球をしたい」という目標だ。8回1/3までは無安打投球。8回2死満塁のピンチを投直で切り抜けた時、4万3000人の観衆が発した大歓声が、それを物語っていた。【涌井幹雄】