報徳学園(兵庫)が履正社(大阪)に逆転負けし、今大会を最後に勇退する永田裕治監督(53)は準決勝敗退でラストゲームを終えた。「すごく力の差がある相手に、こらえてこらえて、高校生の力はすごいなと、ただただ感動しています」と話した。かつての教え子も、同じ思いだった。

 02年のセンバツ大会で「1番・遊撃手」で出場し、優勝に貢献した元日本ハムの尾崎匡哉さん(32)は「報徳の伝統の全員野球、先生と長く野球をやりたいという気持ちのこもった大会だったと思います。最後までそれを見ることができて、良かったです」と胸を熱くさせた。

 同じく、中堅のレギュラーだった木下賢治さん(32)は「グラウンドでの一生懸命な選手の姿に、多くの方が感動したと思います。本大会のベンチの前に立っていた監督の表情がとても明るく、印象深かったです。本当にお疲れさまでした」と話した。

 26日の前橋育英(群馬)戦の試合前、永田監督は初戦の多治見(岐阜)戦の応援に教え子が多く集まったことを喜んだ。「多かったですね。それが一番うれしかったですね。試合に出てなかった子が、戻ってきてくれるのがうれしいですわ」と目を細めた。

 02年のセンバツ大会で背番号「16」でベンチ入りした伊藤政幸さん(32)も、その1人だった。公式戦の出場は1度もなかったが、伝令要員でベンチ入り。永田監督からは「試合に出て活躍する選手に、出られない選手たちの気持ちをベンチの中で表現して盛り上げてくれ」と言われていたという。

 伊藤さんは「監督は全員野球を掲げ、上手、下手に関係なく、一生懸命な選手には一生懸命尽くしてくれる方でした。チームの為に何ができるのか。野球がうまくなくても、1人1人の選手に役割を与えてくれる。野球を通して、協調性や考える力を教えてもらった気がします。本当にお疲れ様でした」と話した。

 永田監督が掲げた「全員野球」は今もなお、多くの教え子の心の中にしっかりと刻まれている。