<高校野球長野大会:中野立志館3-1松本深志>◇11日◇2回戦◇松本市野球場

 第3シード松本深志(長野)をけん引し続けた小林ツインズ最後の夏は、あまりにも短かった。最速148キロ右腕の兄綾(3年)、140キロ超の右腕で一塁手兼任の弟絃主将(同)。初戦敗退に「このチームで、もう野球ができないのは想像できない」と言葉を重ねた。

 兄は「ストレートの伸びとキレがない」と苦闘した。この日は最速141キロ止まり。本来の球威もうせた。「焦りが伝わった」と弟は何度もマウンドに駆け寄った。「二卵性で顔も似てないし、性格もまるで違う(笑い)。でも、あいつの気持ちは聞かなくても分かる」(絃)。兄は散発6安打の奮闘も自ら野選、暴投で3点目を献上して散った。

 画家の父、オルガン奏者の母の留学先だったドイツで生まれた。5歳で帰国して千葉県流山市で育ち、友達作りのために少年野球を始めた。小学校卒業と同時に長野県松本市に移住したのは11年の東日本大震災の影響だった。千葉県北西部は放射線量の高い地点が点在していた。また友達作りの野球が始まった。

 1876年(明9)創立の名門進学校で入学直後から高い身体能力を発揮して主軸となった。プロの評価も高いが、短すぎた夏のリベンジは大学野球だ。ともに「慶大1本」と言葉を重ねた。「AO入試狙い」(絃)、「やっぱり(笑い)」(綾)。小林ツインズが新たな夢舞台へ前を向く。【大上悟】