和歌山屈指の右腕に、涙はなかった。那賀・谷脇弘起(3年)は智弁和歌山に15安打12失点と打ち込まれ、決勝で散った。

「あっと思った球はすべて打たれた。力負けでした」。それでも11三振を奪い、最後まで投げ抜いた。大会記録を「12」も上回る66奪三振を記録。連投で疲労は蓄積していたが、「言い訳できるほど体に疲労はなかった」と理由にせず。完全燃焼の夏だった。

最速143キロで直球はキレがあった。縦と横、2種類のスライダーで三振の山を築いた。そんな谷脇だが、中学時代は無名の存在だった。2年時に内野手から投手に転向。エースナンバーを背負ったが、公式戦で勝ったことはなかった。那賀では、1年生の時からマウンドに立った。実戦経験を積むことで成長していった。この日観戦した中学時代の恩師竹中啓介氏(34)は「素質があったから投手に転向させた。精神的に弱い部分があり、勝ちきれないところがあったが、決勝までくる勝てる投手になった」と目を細めた。

谷脇は「少し成長した姿を見せられたと思う。高校では多くの試合を経験できたことで自信が持てた。1年生から試合で使ってくれたことがありがたかった」と高津亮監督(44)に感謝した。今後は大学進学を希望。支えてくれた周囲にさらなる成長を見せる。【松本直也】